真の教育とは
人間は、最初から社会的な動物として生まれるわけではない。赤ん坊は、生きるために必要な最低限の能力、しかも、誰かの介添えがあって、はじめて可能な能力しか身につけていてない。
人間は、成長していく過程で社会的な能力を身につけていく。人間の根本は、自己である。故に、成長の過程は、自己のあり方に拘束されている。
自己は、主体的存在であると同時に、間接的認識対象である。故に、外部への自己の主体的働きかけによって起こる外部の反応を、自己の内部に、還元することによって人間の善は構築される。
つまり、自己と外界とは、鏡像関係にあり、この関係を正常に機能させるのが、教育の基本的役割です。
故に、教育には、環境が重要なのです。
価値観、善は、基本的には、人間と人間、人間と外界との関わり、関係に依存した体系です。その意味で、善というのは、普遍的真理とは違います、相対的基準です。だからといって、善の価値が低いわけではありません。いずれにせよ、人の世に生きていく上で、不可欠な体系であることは間違いないからです。
自己は、主体的存在ですから、教育には、自主性が必要です。しかしだからといって、自主性ばかりを重んじても、初期の教育は、成り立ちません。それは、人間としての根本価値観が、できあがっていないからです。
だから、子供のうちは、外から仮に与えられた価値観に依存します。その価値観に反発したり、共鳴したりしながら、自分の内部に取り込み、学習や経験を通じて再構築するのです。
自己は、社会との関わりや経験によって自己の善を形成します。正常な社会生活を営むためには、社会との関わりや経験が重要なのです。だから、教育にとって社会との関わりと経験は、最も重視しなければならない要素です。
善悪の判断は、社会生活の中で、経験的に形成されていきます。むろん、その基礎には、人間としてのあり方、たとえば、人間は生き物であるとか、社会的動物だとか、経済的動物だと言った事があります。
その先天的な要素の上に、善悪の判断になる価値観は、両親や教育機関を通じて、その基礎を習得し、さらに、集団生活や遊びによって磨きをかけていきます。
生き物として必要な行動規範を、育児を通じて母親から学びます。そのうえで、本来、実社会や学校の中で社会生活、集団生活に必要な、行動規範や道徳を身につけさせるべきなのです。
つまり、母親によって植え付けられた価値観を土台にして、遊びや勉強を通じて善を形成していく。それを、助けるのが、教育の真のあり方です。
子供にとって何が正しくて、何が間違っているのかを教えるのは、学校ではありません。まして、一部の教育者の独善でもありません。
それを決めるのは、親であり、地域社会です。なぜ、親であり、地域社会かというと両者は、教育を受けて者の行動に多大な影響を受けるからです。
自分の行動を正しく映し出す、また鮮明に写しだし、正しく認識させる環境を、作るのが教育の役割です。強引に価値観を刷り込むような事をすれば、自己の主体性が失われます。
良識や常識を否定するのも、困った風潮です。良識や常識というと保守的な石頭と決めつける人がいる。しかし、その前に、常識や良識とは、何か、ハッキリさせる必要がある。良識や常識は、元々、絶対的、普遍的なものをさしていっているわけではない。絶対的、普遍的なものをさしていうならば、原理・原則という言葉を使うだろう。
日頃、相対的な価値観を推奨している知識人が、常識とか、良識というととたんに拒否的になる。当人達が、革命的であることを、気取っているからかもしれないが、自分たちの都合で言葉の意味を変えるのは、愚劣だ。
常識や良識というものは、地域性や時代性によって変化する。だから、常識であり、良識なのである。また、良識や常識は、日々確認しながら更新していく必要がある。故に、意味があるのである。
そして、良識や常識を育むのは、地域社会であり、実社会、実生活である。その意味で最も、実生活や実社会から離れている学校が、常識や良識を否定するのは、当然の帰結かもしれない。
常識や良識に否定的な意見が、横行している。その結果、自制心や抑制心がなくなり、犯罪が増加しているうえに、悪質化している。
悪いと思って犯すのではなく、悪いと、はじめから思っていないで犯す犯罪が増えている。これは、大変な違いだ。すくなくとも、悪いと思えば、抑制心が働く。また、改心する動機にもなる。しかし、もともと、道徳心がなければ、抑制も利かず、改心もできない。そのあげく、犯罪が凶悪化する。
親や地域社会にとってこれは、深刻な問題である。
自己善
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