教育ってなあに


政治・経済




 日本では政治や経済のことを義務教育で教えない。
 教えないというよりも教えられないのだろう。
 それが負け犬の証拠である。

 政治や経済は、民主主義国、自由経済国では、生きていく上で欠かせない事、必須な事である。
 それを教えられないのは、民主主義国を自らが否定する事である。

 大体、日本人は、世俗的なことを卑しむ傾向がある。
 金儲けなどという下賤な事は、日本の学校では、教えないのである。
 しかし、生きていくという事は、世俗的なことである。
 世俗的な事を教えずに何を教育するというのだろうか。
 有用なことは教えないそれが学校である。

 虐め(イジメ)はなくならない。
 この世が生存闘争の場だとするならば、適者生存、修羅場である。
 争いや闘争、競争社会であることを前提としている。
 それに、価値観の多様性を認めるのならば価値観の相違から争いはなくならない。
 ただでさえ、人には、好悪の感情がある。
 だとしたら、虐めから逃れる術はない。
 極端な話、虐めをなくそうとすればするほど、虐めをなくそうとしている当事者、教育者こそ子供を虐める張本人になる。
 虐めがなくならないとしたら、虐めに対処する術こそ教えるべきなのである。
 強く鍛えるのである。
 それが教育である。
 一番悪い事は、逃げ出したり、自殺すること。
 それを教えるのが教育である。

 アメリカでは、小学校から経済を教えるそうだ。
 アメリカの教科書には、ハッキリと書いてある。
 ただで手に入るものなどないと。
 (「アメリカの高校生が学ぶ経済学」ゲーリーE.クレイトン WAVE出版)
 政治や経済は、生々しい現実である。
 だから教える必要がある。
 化石のようなことを教えても役に立たない。
 新鮮な事実だからこそ教える必要がある。
 そして、責任もある。
 生きるとは現実である。
 生々しい現実を教えられなければ、何の意味があるのか。
 現実からかけ離れたどうでも良いことばかり教えても何の役にも立たない。
 今を教えるから、過去の歴史は生きてくる。
 現実を無視したら歴史は死んでしまう。
 それでは無責任すぎるではではないか。
 政治も経済も現実なのである。
 教える者の生き様が厳しく問われる。
 だから、緊張せよ。謹聴せよ。
 それこそ真の師である。

 お米の値段を知らないエコノミストはいくらでもいる。
 お米の値段どころか、電気代やガス代、水道代がいくらか知らない経済学者はたくさんいる。
 簿記や数学の解らない先生なんて掃いて捨てるほどいる。
 たくさんいるどころかそれを自慢にすらしている。
 生活実感のない人がどうやって経済を知るのだろう。
 自分がいくら税金を払っているかも知らない。
 そんな経済学者に経済の話を聞いても始まらない。
 肝心な事は何も教えてくれません。
 果たしてそれを勉強というのでしょうか。
 経済の勉強をしても、一向に家計は経済的にならない。
 暮らし向きはよくならない。
 それに経済学者間予測は、よく外れ(はずれ)る。
 外れ(はずれ)てもそれを恥とも思わない。
 昔は、天気予報はよくはずれた。
 しかし、必死の努力で予測の精度を高めた。
 今では、天気予報をはずすと怒られるというのに。
 経済学者は、自分の予測に責任を持っていない。
 はずれて当たり前ぐらいにしか思っていない。
 予測がはずれて責任をとったという経済学者を聞いたことがない。
 教えないのではない。
 経済学は、教えられないのである。
 経済学者が経済を教えられるほどの責任感がないからである。
 教える側が、責任を持てないからである。
 それでも、アメリカは、教えようと努力する。
 だから、アメリカでは、経済学が進歩する。
 日本の経済学は、ますます、世俗離れをする。
 経済とは、下世話で世俗的なことなのである。
 
 人生いかに生きるべきか。
 それは、自分がいかに有為な人間になるかを問うことである。
 生きる為に有用な学問こそ、必要なのである。
 政治や経済は、生きていく為に、避けることのできない事柄である。
 政治や経済をまともに教育できないような教育は、意味がない。
 政治や経済こそ教えるべき事なのである。






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