形に学ぶ。形を学ぶ。形で学ぶ。

形とは

我々の世代は、形式主義と言って形を嫌う。
しかし、現実の世の中では形が重要な働きをしている。
この事を認めないと世の中の仕組みは機能しなくなる。
現実の世界は、言葉による観念だけでできているのでも、動いているのでもない。
その点を正しく理解しておく必要がある。

形が悪いのではない。
形がその根底にある意味や働きを失い。
形骸化する事が問題なのである。

我々は、格好を否定してきた。
しかし、内心では格好良さに憧れる。
だらしない格好も、長髪も一つのファッションである。
形は、その時代その時代の文化や思想を象徴しているのである。

形には、本来目的がある。
その目的が失われると形式だけが取り残される事になる。
形式だけが意味もなく残り、その形式によって社会の仕組みが形作られると形式に縛られる事になる。そうなると形は弊害になる。
しかし、それは形が悪いというのではない。

物事は、外形と内面によって成り立っている。
外形とは目に見える形である。
内面とは、目に見えない世界である。
いずれが欠けても物事は成り立たない。
魂のない肉体は骸である。骸は、形を保てずに腐り果てていく。
肉体のない魂は、幽霊である。外の現れる事ができない。

組織は、形で動いている部分が多分にある。
情報を伝達する形、意志決定の形、細かく言えば、会議の形、指示命令の形、報告の形、計画の形、文書の形、組織の形、手続きの形、評価の形、権限や責任の形等である。
故に、形が乱れると即組織は動かなくなるか、分解する危険性がある。

よく組織が動かなくなる原因は、指導者の人格や性格、思想にあると誤解している者がいる。しかし、夜盗、山賊にも組織があり、犯罪集団にも組織があり、反体制集団にも組織があり、そういう組織の方が強固に結束している場合すらある。つまり、組織を動かしているのは、組織の掟であり、個々人の倫理観ではないのである。
そして、組織を動かし掟は形として示されるのである。
ただ、個々人の価値観は、組織を有効に機能させるための重要な要素だから、組織内では、価値観を統一しようとする作用が働くのである。
集団には、集団を維持するための何らかの形がある。それを考慮して、ただ単に形を否定すれば、集団そのものを分解してしまう。

人は、言葉だけで理念を理解するわけではない。
形からも理念を理解するのである。

形とは、象徴である。
形とは論理である。
形には意味や働きがある事がある。
形には力がある。

質問する形式、形が反論になっていると賛成意見も反対意見として捉えられる。
相手の意見が理解できない場合、最初、反論の形式をとって意見を述べる人がいる。
そうすると本来賛成意見なのに反対されていると受け止められる。
そのことによって論旨に幅を持たせる策なのである。

変革は形を変える必要がある。
また、形を破壊しようとする者は、その形の土台として結束している集団を解体しようとする者である。
社会を変革しようとする者は、人々の行動規範の形を変える必要がある。権力装置の形を変える必要がある。日々の生活様式の形を変える必要がある。だから、言葉遣いや服装を変えようとする。また、国旗や国歌と言った象徴を変えようとするのである。

仕事には形がある。
仕事には起承転結と言った筋立てや、順番がある。
一定の段取りや順序が繰り返される事で、仕事の形が成立する。
また、仕事には枠組みがある。
また、仕事には、仕切りがある。

人には、それぞれ独自の形がある。
一人前の仕事をしたければ、早く自分の形を身につける事である。

形はまねる事から入る。
仕事は他人の形、仕事の仕方をまねる事から覚える。
見て、やってみて、学ぶのである。
故に、自分の形を身につけるにしても一定の時間がかかる。
形を身につける事は修行である。

人の一生にも形がある。
人には、生病老死の定めがある。
人と人との関係には冠婚葬祭があり、それが世の中の仕組みや秩序の源となる。
それが法や掟、礼儀作法の基礎となる。
法や掟にも形がある。
そして、形は、儀式典礼に結実する。

形を覚える事で法や秩序の礎を身につける事ができる。

教育にも形がある。
形を学ぶ事によって世の中の仕組みや法を身につける事が可能となる。
人と人との関係を理解する事ができる。
形によって学び。
形を学び。
形で学ぶのである。

形とは言い換えると姿勢である。
形とは、姿形である。

人の生き様はその人の姿勢で決まるとも言える。

我々の世代は、形を捨てた事で、人生の美学を失った。
我々の世代の多くは、醜く生きる事を是とした。

日本人の祖先は美学に生きた。
美しく死ぬ事を潔しとしたのである。

それが武士道である。
人の死が定めである限り、生き方を学ぶ事は、死ぬ事を学ぶ事でもある。

それが大和魂である。

私は、多くの創業者を知っている。
その創業者の大部分の方は、独自の形を持っていた。
指導者というのは形を重んじる。

形は美学に通じる。
形には、美醜があるのである。

形式美、様式美である。
仕事や生き様にも美学がある。
それは生きる形、働く形である。
故に、日本人が作り出す物には、美学がある。
日本人の生き様には美学がある。

醜く生きる事は、死ぬ事よりも恥ずかしい事である。
形は、廉恥の感情に結びつく。
故に、日本人は廉恥を重んじる。
破廉恥な行動を嫌うのである。
形から学ぶ事は廉恥から学ぶ事である。

多くの指導者達は、独自の美学があるのである。
だからこそ、指導者は形を重んじるのである。




形について

民主主義という仕組み

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