団塊の世代に言えることは・・・。


団塊の世代に言えることは・・・。



 団塊の世代には、意見は、イコール反対意見。個性や独創は、イコール他人と違うこと、変わっていることと言う刷り込み、決め付けがある。
 思想と言ってもいたって単純。
 自分達は、なにか高尚で、先鋭的で、前衛的なことをいっているつもりみたいだが、反体制、反権威、反道徳か、あるいは、マルクス主義を唱えておけばいいと思っているのにすぎない。
 しかも、実際にやっている事と言ったら無政府主義的なのである。
 思想と言ったって兎に角、反対さえしていればいいという事だから、右と言えば左、左と言えば右という。それが戦後の知識人というのだから、哲学や思想が枯れ果ててしまうのは必然的な帰結である。つまりは、逆らい続ければ正当と思い込んでいる。

 自分は、その団塊の世代の末端位置している。
 丁度、団塊の世代と次の世代との境目にいる。
 だから、極端なくらいにその潮目が解る。

 我々の世代を境にして、全共闘世代と三無主義世代に別れる。
 我々の先輩は、三日三晩徹夜して議論したら本音がでると言っていた。
 三無主義世代は、三十分議論すると飽きる。
 それを団塊の世代は嘆くけれど、三無主義世代を生み出したのも団塊の世代なのである。

 確かに、団塊の世代は、高度成長の推進役でもあった。しかし、現在の日本の状況を生みだした元凶でもある。その点を直視し、次の世代に継承するものは、継承し、自分達が清算し、改めるべきは、改めないと我が国の衰退を招くことになる。

 何でもかんでも逆らえばいい。
 何でもかんでも反体制、反権威を言っていれば様になる。
 上の世代を批判していればいいと言う思想を脱するべきである。
 なぜならば、我々の世代は、次の世代に対して責任があるからである。
 無責任な考え方を辞めて、自分達が責任のとれる考え方に変わるべきである。
 つまり、建設的になるべきである。
 我々の世代は、批判する側から批判される側に廻ったのである。

 私もいつの間にか年金をもらうような歳になりました。
 それで改めて考えたのですが、我々の次の世代は、年金は、もらえないわ。税金は上がる。医療費の負担も増える。それなのに、我々の上の世代、すなわち、団塊の世代は、高額の退職金をもらい、尚且つ、住宅ローンも払い終わっている。割高の年金を満額もらって税や医療費の負担も軽い。

 私の知り合いの奥さんは、大手の製造会社の工場に高校を卒業した後、事務員として定年まで勤めた。退職時にもらった退職金が実に四千万円を超えている。現在、もらえるとしても半分以下であろう。とうぜん、会社は、そんな退職金を払い続けるわけにいかないから、ことあるごとにリストラをした。その対象は、今の五十代である。だから、どの会社へ行っても五十代というのは、わずかしかいない。そして、その次の世代になると派遣である。正規社員として採っていたら、会社がもたないのである。これが実体である。
 しかも、彼らは、月額二十万以上の年金が保証されている。一人が二十万以上という事は、夫婦だとその倍である。

 次世代の人間は、団塊の世代がやってきたつけばかりを払わされる事になる。

 団塊の世代の世界観は、アナアキーな世界ですよね。どだいアナアキーなんですよ。根本は。
 そこに誤魔化しがある。北野たけしなんて典型ですよね。
 アナアキーでありながら権威主義。
 反権力を気取っているが自分は権力主義。
 だから団塊の世代というのは、たちが悪いですよ。
 非暴力といいながら、自分たちは、いたって暴力主義でしょ。
 なんでもかんでも、反権威、反権力、反暴力、反差別といいながら、
 当人達は、権威主義で、権力主義で、暴力主義、差別主義なんだから。
 政治の世界を見るとよくわかりますよ。
 反国家主義といいながら、国家主義だったりね。

 自分たちは、反戦だ、反体制だ、反権力だとやりたい放題やって旧秩序を破壊し尽くした。その結果、日本の経済も、社会も、教育もガタガタにしてしまった。
 そのけじめをどう採るのか。それが問われているのにである。
 自分たちの既得権ばかりを主張する。
 団塊の世代の代表的な政治家は、鳩山由紀夫であり、菅直人であり、小沢一郎である。
 彼らの特徴は、決して自分の非を認めようとしないことである。

 だから僕は、いわゆる焼け跡派みたいな世界から卒業すべきなんですよ。
 そうしなければ、団塊の世代が主張してきたことがなんだったのかという事になってしまう。




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