決   断


決断力を養う事



 最近の若者達、特に、男子の決断力が鈍ったように見える。
 それは、戦後の躾に問題があると私は、思う。
 決断に至る手順を間違って躾ているからである。
 これも戦後教育の悪しき成果の一つである。

 戦後の親は、口癖のように、考えてから決めろ。よく考えて決めろと言う。それが間違いなのである。
 どうせ言うのならば、決めてから考えろである。その方が幾分かましである。
 根本は、決めろである。
 決めて、その責任をとることを覚えろである。

 決めてから考えろ。考えたら決められなくなる。
 第一感で決めて。決めた事に責任を持つ。そうやって日々、決断力を養う。
 自分が子供の頃は、よく父に欲しい物を聞かれた。
 その時、ハッキリした態度をしなかったらその時点で買ってもらえなかった。又、曖昧な態度をとり続けると怒られた。いつまでもハッキリした態度をとらないと買ってもらえなくなる。又、二度、三度と逡巡したらその時点で買ってもらえなくなる。一度欲しい物を言ったら、良いんだなと、三度確認をとられた上、それ以後は変更を許されなかった。
 かつては、この様にして決断力を鍛えられた。
 つまり、決断力というのは鍛えるものなのである。

 今の親は、子供決めても、それで良いの、それで良いのと執拗に聞き、挙げ句によく考えて決めなさいとしつこく迫り。子供が厭になって「それじゃあ他のでするよ。」というと今度はなぜ変えたのと聞き出す始末である。
 これでは決断力がなくなるのも頷ける。

 決断というのは、自己責任で一瞬にする事なのである。
 自分がいいと思ったら、良い。やる決めたらやる。それが決断である。
 迷いが禁物なのである。
 なのに、親や先生が迷いに迷わせて決められなくしている。
 それでは、決断力をなくすための教育かと言われても仕方がない。
 泣いても笑っても決断したことには自分が責任を持つ。
 だから、第一感が大切なのである。

 決断をするための姿勢とは、
 よく他の人の意見を聞いた上で、自分で決断をする。
 判断は人の意見を聞き、決断は自分の意志でするである。
 どちらにしても究極的には自分の意志なのである。

 決断で大切なのは、第一感を信じる事である。故に、考えることではない。考えさせる。考え込ませることではない。考え込ませることは、弱さに繋がる時もある。
 考えてから決めろと言うのは、決断力を鈍らせることである。
 信じる事である。第一感を信じる事である。
 考えさせることではなく。決めさせることである。
 決断し、その結果に対して責任をとらせていく。
 小さいことから始めて、だんだん、重いことに発展させる。
 それが、教育である。
 それは修練であって、勉学ではない。

 物を買う時、選ぶ時、先ず決めさせる。
 考えることがあったら、その後にする。
 考えると言う事は、迷いに通じる。
 つまり、考えたら決められないである。
 それを考えて決めろ、考えて決めろと言い続ければ、子供は迷い、迷って決められなくなる。それで、愚図と叱るのは酷である。

 生きると言う事は、気迫である。
 決断というのは決して断じることである。
 その一瞬に全身全霊をかけて裂帛の気合いの下に決めていく。
 その第一感による決断を積み上げることによって自分を鍛え、高めていくのである。それが人生である。
 決断力を失えば人は迷う。迷い、弱くなり、堕落していく。
 決めてから考えるのである。
 考えたら決められなくなる。決める前に考えることは迷いである。
 決めたなら、改めることも出きる。
 考えさせては駄目である。

 哀しいほど決断力がない者がいる。
 決断力ない者は、必然的に無責任になる。
 そして、決断力のなさを隠すために態度が横柄になる。
 抜刀するように決断する。
 決して断じるのである。
 決断できない後は、未練と言い訳しか残らない。
 不決断こそ最大の誤判断である。

 一番、恐れなければならない事は、決断できなくなる事である。
 どんな逆境でも、苦境でも決断力を失わなければ、自身を保つことができる。
 逆に、決断力を失えば、自分を見失って自滅してしまう。
 鬱という状態は、自分を失うことから生じる。
 決断力こそ自己の存在の源なのである。
 だからこそ、決断力を養う必要があるのである。




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