最近は、恩という言葉も死語になった。
 我々が子供の頃は、犬だって三日飼えば恩を忘れない。恩知らずは、犬畜生よりも劣ると教えられたものである。
 恩という言葉が毛嫌いされた理由の一つに、かつて、日本が軍国主義に支配された時、国の恩を口実に絶対的服従を強いられた歴史的背景がある。
 しかし、恩の根本は、本来感謝の念にある。そう言えば、感謝という言葉も最近聞かれなくなりつつある。
 恩というのは、世話になって人や困った時に助けてくれた人に対する感謝の気持ちである。必然的に親の恩は大切にし、生活の元となる国や会社、世間に対する恩は、あらゆる恩の前提となる。
 しかし、恩の根本は感謝の念であるから、他人から強要されるものではない。我々は、恩を大切にしろと言われる反面、恩着せがましい事はするな嫌う。つまり、恩は、人間の自然の情でという事である。そこに恩の本質があり、だからこそ、人間関係の基盤となりうるのである。
 軍国主義時代、恩を強制して、絶対服従を強いた時、恩の本質は失われていたのである。その点を忘れてはならない。
 この事は忠誠心も、愛国心も同じである。

 忠義というのは、義に忠という意味であって、絶対服従を意味するわけではない。
 忠義があるからあえて反対し、又、愛国心があるからこそ戦争にも反対する者がいてもおかしくないのである。忠とは自分の誠を尽くすこと他ならない。盲目的に服従することを意味するのではない。
 恩も義と結びついて恩義となる。恩義は護らなければならない重大な徳目の一つである。恩義を信じるからこそ信頼関係は保てる。即ち、恩は、信の根拠となる。
 愛国心は、自然の情であって反体制主義者にもある。むしろ反体制主義者こそ愛国心を鼓舞すべきなのである。愛国心があれば体制に、従うことも、反対することもある。
 その点からみると日本の戦後の反体制主義者の心根は歪んでいる。

 恩は、人間関係の根本にして基盤である。

 お陰様、お世話様、お互い様と思う心の根っ子に恩がある。それこそ日本人の心情を表している。それが、日本人のサービスや商売に根本を形作る。金儲けだって、お客様や社員のお陰だから、お互い様なのである。だから、お世話様でもある。
 恩があるから、有難いし、有り難うという言葉が自然に出る。それが総ての日常に染み渡っている。それが日本人社会なのである。
 感謝、感謝なのである。究極的には、お天道様に感謝し、今日一日を生かしてくれる万物への恩なのである。故に、恩を強要できる者など存在しないのである。いるとすれば神のみである。しかし、神はあるがままに存在する。
 自分を生かす存在に対する恩こそが、本然の恩なのである。そして、その恩返しは、活き活きと自分らしく生きる事に相違ないのである。

 自分を生かしてくれる存在に対する恩、自分を支えてくれる人々に対する恩を感じることによって人は、驕慢、傲慢になることを防げる。人は、恩によって謙虚になれるのである。又、恩は、廉恥の根源でもある。感謝する念を忘れることで、人は下品となり、恥を忘れるのである。
 誇りが廉恥の情を生むのならば、恩は、廉恥の情の源である。忘恩の輩は、恥知らずである。
 だから、忠と孝が問われるのである。恩は、忠と孝の因にして、忠と孝は、恩の結果である。

 恩知らずは人でなしである。なぜならば、感謝する心を持たないからである。

 迷惑をしなければ何をしても良いというが、親や世間に迷惑をかけない人はいない。迷惑をかけなければと言えば、迷惑をかけずに済むと思う。やがて、俺は誰にも迷惑をかけていないと思い上がる。だから、深夜に暴音を立てて町中を疾走しても、誰にも、迷惑なんかかけていない。俺の勝手だと言い出すのである。
 迷惑をかけるなとは言わない。しかし、恩を忘れるなと教えるべきなのである。そして、必ず恩返しをするなと教えるべきなのである。

 何も、恩は、子供や国民、社員、目下の者だけが感じる情ではない。親には、子に対する恩がある。国家は、国民に恩がある。社長にも会社に恩がある。指導者は、部下に恩がある。上の者は下の者に恩がある。夫には、妻に対する恩があり、妻には、夫に対する恩がある。恩とは、双方向に働く感情である。恩は愛情の源なのである。恩を感じることが愛に発展するのである。だから愛国心の根源は国に対する恩である。
 かつての企業の経営者は、親も同然と社員の世話をやいた。組合の多くは、余計なお世話とその情を否定した。賞与は、当然の権利と経営者の感謝の念を頭から拒絶した。
 その風潮が、家族を崩壊させ、会社から人間の心を奪ったのである。お互い様とお互いを尊重するからこそ権利と義務が意味を持ってくる。
 恩というのは、一方的に押し付ける情ではないのである。各自が自発的に持つ感情だからこそ意味があるのである。自発的だからこそ献身的な行為を引き出すのである。恩を強要するのは野暮である。
 そして、恩こそ、民主主義の根源となりうる情なのである。

 故郷の山河への思い、肉親に対する愛、友に対する情。それこそが、恩の本質なのである。

 忘恩の徒となるな。それが日本人としての基本の教えである。




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