規 律

 今、教室が荒れている。落ち着いて授業を受けることさえままならなくなりつつある。先生は自信を失い、ノイローゼや鬱病が蔓延している。母親は、孤立し、相談する相手もいない。子供達は、テレビやテレビゲーム、ビデオ漬けにされ、あるいは、塾や習い事で屋外で遊ぶこともできない。それで、教育の質は向上したのか。教育の質は向上するどころか、教室は荒れる一方である。教室や学校から規律や秩序が失われて久しいのである。

 戦後、民主教育、自由教育の中で規律や秩序という言葉が切り捨てられてきた。ある意味で禁忌ですらある。

 組織の雰囲気を悪くさせる原因は、規律の乱れ唯一つである。規律の乱れは、志気、モラルに影響を与える。また、その場から緊張感を奪い、その場の雰囲気を弛緩させる。らに、意欲や向上心をなくさせる。
 指示、命令、決め事や約束が守られずに、それを注意したり、叱ったりした場合を想定しよう。その場の雰囲気を悪くしたのは、指示、命令、決め事、約束を破った者であり、叱ったり注意した者ではない。ところが状況からすると、外見的に、叱られている者に同情が集まりがちである。

 だからこそ、教える側、教わる側、双方に、相手に対する敬意と尊敬心がなければできないのである。それこそが規律である。
 それに、怖れ、畏敬心がなければならない。心から信じ、教わりたいと思うからこそ、知識や技術を受け容れることができる。甘えたり、なめていると教わったことが身に付かないのである。また、普遍的真理や知識に対する信仰心がなければ、知識や技術を定着できない。教わって事、学んだことを信じて、はじめて、自分のものとすることができる。何を教わっても信じる事ができなければ、反発と嘲りしか残らないないのである。そう言う意味で、教育というのは、一種の対決である。

 故に、叱る者を孤立させる職場は、規律を保つことはできない。それなのに、現代の教室では、叱る事さえ許されていない。それでは、教える者は、確信も持てない。
 自主性を重んじろ。自主性を重んじろと言うが、何を持って自主性というのか。個性や独創性と言うが、人と違うことをすれば個性がでるというのか。独創的なのか。

 個性というなら、同じ事をさせれば、個性が際立つのである。同じ服、同じ制服を着させれば、個性が際立つのである。それが個性である。つまり、個性は、個性を出そうとして出せる者ではなく。その人が持って生まれた物を際立たせることなのである。

 テレビで人気の学園ドラマやバラエティー番組では、先生を呼びつけにし、恥じることがない。

 教育の現場で、一方で生徒の放逸を許し、他方で教師の行動を規制すれば、教育の現場から規律は失われる。

 メディアは、物わかりの良さを売り物にして、教育を論じる。ただ、迎合し、受け容れることが相手を理解していることだと錯覚している。

 戦後、我々は、背くこと、逆らうことばかり教わり。合わせることを教わらなかった。それも学校でである。学園闘争、華やかりし頃は、叛逆は美学だった。しかし、真の学問は、合わせること、協調することから始まるのである。己の我を抑え、師に合わせることこそが学問のはじまりなのである。

 人の欠点に気が付くと言う事は、自分も同じ欠点を持つと言う事である。だからこそ、叱ると言う事は、両刃の刃である。又、欠点や失敗の多い者ほど、相手の欠点や失敗に気が付く者である。よく自覚し、よく反省する者は、それが長所となる。又、叱る言う行為は、相手を信じなければできない。

 自分を信じない者は、叱る事も教える事もできない。信じるからこそ厳しくすることができる。
 ただ何でもかんでも褒めればいいと言うのではない。褒めるべき所があるからこそ褒めるのである。褒めるべき事がなければ褒めるべきではない。煽(おだ)てて勉強をさせることほど傲慢なことはない。それは、相手を馬鹿にしているからである。
 逆らってばかりいたら教える者は、自らを消耗するばかり、嫌気がさすのである。それは、教える者、教わる者双方に益がない。
 だからこそ、教えを受ける者は襟を正し、心から師を受け容れなければならないのである。教育の根本は、礼であり、作法である。




                content         


ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2009.9.7 Keiichirou Koyano

教   育