失敗の原因

 敗因を調べてみたら、満開の桜の木の枝に馬の手綱をとられたことだったり、水鳥の飛び立つ音に雑兵が驚いたことだったり、辿ってみると、ごく些細なつまらない事だっと言う事が多い。

 多くの失敗は、難しいことが原因で起こるのではない。大多数は、何でもない簡単で、単純な事が原因で起こる。だから、深刻なのである。

 難しくて、余程経験がなければできない、専門知識がなければ間違うことが原因ならば、経験が浅い者や知識のない者が失敗しても仕方がないといえる。しかし、誰もができるような事で失敗を繰り返せばいいわけが聞かなくなる。しかも、その多くは、癖や習慣になっている。そうなると厄介である。

 仕事というのは、先ず、相手の言う事を正確に聞き取って、更に、それを書き写すことから始まる。しかし、この簡単なことができない。簡単なことだから言い訳が聞かない。そこで誤魔化すことになる。誤魔化そうとすれば、結果的に嘘をつくことになる。しかし、自分は、間違った事をしたという自覚がない。なぜならば、最初に聞き逃したことが原因であり、それを確認しなかったことがいけないからである。悪い事に、何でも自分の言葉にしなさいと、教育を受けている。だから、何でも言い換える癖がついている者が増えている。悪い習慣、癖を学校が教え込んでいるのである。しかも、横文字にすると箔がつくと勘違いしている者すらいる。

 ウェイトレスが仕事は、客の注文を正確に聞き取り、それを正確に書き写すことに尽きる。しかし、この単純なことができないウェイトレスが増えている。注文を聞き違えて、注文をした品と違う品を持ってくる。それも悪びれたふうでもない。では、注文を聞き間違えたことを自覚していないのかというと、よく見ているそうとも言い切れない。なぜならば、時々、客の顔色をうかがっているからである。また、さすがに、間違った品を出す時は、おそるおそる出すからである。おそるおそる出すと言っても悪びれたふうには見えない。ただ、確認をしたらいいところを確認もしない。叱るとオロオロするだけである。とにかく、最近、オーダーミスが多い。多すぎてこちらも慣れてしまった。注文を正確に聞き取れないのである。しかし、注文を正確に聞き取れなければ、ウェイトレスの仕事は成り立たない。その自覚がないのが怖いのである。だから、改まらない。

 成績の悪い人間の特徴の一つに、早呑み込みがある。一度、答えを教わると理解した気になる。そして、別の問題に取りかかる。だから、理解できないのである。一番怖いのは、理解したという錯覚なのである。こうなると、教えない方がいい。教える事が障害になる。
 正確に先ず前提条件や問題を確認する。真意を捉える。それが基本である。しかし、それを怠って、理解したように振る舞う。そうしているうちに、理解することの意味もわからなくなる。 
 目先のことばかりに気を取られて物事の本質を理解しようとしなくなる。誤魔化しや言い訳ばかり覚えて、根気強く、ねばり強く問題に取り組む姿勢をなくす。
 同じ問題を完全に解けるようになるまで、くどく勉強するのが基本である。基本は、単純反復繰り返しであり、基本的パターン、形を覚え込ませることなのである。応用ばかりを教え込むのは、弊害でしかない。つまり、勉強で大切なのは根気である。その根気を教えない。

 変な悪い癖を身につけると一生苦労することになる。過ちの始まり、悪い習慣にある。

 現代の危機とは何か。車を運転している時、前に崖があってこのまま進めばぶつかると解っている。それなのに、止まろうとしないとしたら、また、ブレーキとアクセルを踏み間違えたら、何が真の危機なのか。確かに、崖は、障害かも知れない。しかし、真の危機は、ブレーキを踏んだり、進路を変えて、危機を回避しようとしない人間の側にある。今もし、ブレーキを踏んだとしたら充分に止まれる距離を余しているとしたら、崖の存在そのものは、危機でも何でもない。しかし、止まることができないとしたら、それは重大な危機となる。その時、崖の存在や自動的に止まらない自動車に責任を転嫁するのお門違いである。この様な場合、危機を危機としてしまっているのは、自分なのである。

 大事故が起こった時、いろいろな原因を解明しようと試みる。しかし、根本的な事を忘れてはならない。れは、直接的な原因の多くは、人間の不注意が引き起こすと言う事である。システムが悪いと言って責任をシステムに求めるのは勝手だが、スピードを出しすぎたら、どの様なシステムを作っても事故は避けられないと言う事実を忘れるべきではない。重大事故の原因の多くは、複雑で難しいことではなく。簡単で単純なことなのである。

 これからの時代は、失敗の本質が変わってくるように思える。失敗の原因は、単純なことであることには変わりがないだろう。しかし、問題は、失敗した者が、失敗の原因を自覚しているか、無自覚かである。失敗しても失敗している者がその原因を自覚していれば、同じ失敗をしないように心懸けるであろう。しかし、無自覚な場合、同じ失敗を何度も繰り返したあげく、大惨事を引き起こしかねない。しかも、自分の責任にも無自覚である。メディアは、この風潮に輪をかけている。事ある毎に責任を国や会社や世間の責任にする。
 失敗の原因の多くは、当事者の不注意にある。しかし、その不注意を引き起こすのは、小さな失敗をしたときにちゃんとその原因を明らかにして、改めさせないことにある。それを徹底できなければ、失敗から学ぶ事ができなくなるであろう。失敗からこそ多くを学べるのである。失敗を失敗として認められなければ、結局、何も学ぶ事はできない。



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