民主主義の仕組み

 日本では、憲法の文言を問題にする。特に、第九条を問題にする。しかし、問題にすべきは、文言ではなく、制度や仕組みなのである。それが、民主主義である。
 日本人は、文言にばかりこだわって制度や仕組みが解らない。読めない。憲法論議や法律論議が典型である。修辞学的な取り組みでは、民主主義は理解できない。
 制度や仕組みが読めなければ、民主主義は、理解できないのである。

 日本人は、制度や仕組みを所与の物として、神聖不可侵なものにしまう傾向がある。しかし、民主主義は、制度や仕組みを通じて実現するものであり、制度や仕組みを構築していく過程でどれだけ国民の意志を反映できるかが、そして、その為にどのような体制、制度を構築するかが、重要なのである。制度や仕組みを神聖不可侵な物にしてしまったら民主主義は成り立たないのである。

 制度や仕組みは、所与の物ではなく。国民、人民の意志が作り上げる物であり。国民、人民、大衆の合意の形成をどのような仕組みで作り上げるかによって検証、保障されるべき体制なのである。

 例えば、国防と一口に言っても仕組みや制度は、千差万別である。文民統制とは何か。それは、文字の上で解釈するのではない。制度や仕組みを通して定義されるのである。軍の組織や形態にもいろいろある。スイス型の民兵制度もあれば、徴兵制、志願兵制、雇用制度もある。早い話、軍を外注に出す国もある。軍の編成にもいろいろある。一体何から、国を守るのか。災害や犯罪から守るというと国防というのは、消防も警察も含んだ、統合的な組織になる。

 分権思想を全面に謳っても、集権的制度や仕組みを採用すれば、実質は、集権体制である。文言より、制度や仕組みの在り方の方が、現実を支配するのである。

 戦前は、統帥権の拡大解釈によって軍の専横を防げなかった。戦後は、第九条の解釈を巡って自衛隊は、軍ではないとしている。日本人は、文言を勝手に解釈することによって物事の本質を、曖昧にし、はぐらかしている。それは、文言に囚われているからである。

 民主主義国において法や制度は思想なのである。国の仕組み、政治の仕組み、経済の仕組み、社会の仕組みを理解することは、国民が国民としての義務を果たすために最低限必要な事なのである。

 民主主義は、制度的思想である。なぜ、そのような制度が必要なのか。なぜ、そのような仕組みが必要なのかが、重要な意味がある。

 また、その制度が成立した背景、経緯、歴史を知る事は、制度や仕組みを理解するための第一歩である。

 判例法か、成文法であるかは、その国の根本的思想の問題である。
 議院内閣制、大統領制いずれを採用するのかも、思想表現の一つである。私有制度の在り方も思想である。税制の在り方も思想である。選挙制度の在り方も思想である。

 法や制度から、その背後にある思想を読みとらなければならない。その為には、民主主義とは、何か、それを制度に置き換えるとどうなるのかを制度を通して議論できなければならない。

 コモンローの国と成文法の国とは、思想が違う。
 成文法よりも現実に重きを置くべきか否かは、思想の問題である。
 自然の法則のように事実を重んじるのは、思想である。それに対し、自然の法則と社会法とは違う。社会法は、意識の所産だとする思想は、別の次元の思想である。

 建国の理念、精神を制度的に表現するとどうなるのか。それは、憲法を議論することを通じて身につけていかなければならない。それが、民主主義教育の原点である。

 民主主義は、構造的思想である。

 民主主義の体表的な仕組みに三権分立がある。これは、三権を分立させる仕組みであるが、必ずしも三権である必要はない。要するに、民主主義の根本は、分権である。つまり、民主主義は、構造的思想なのである。
 逆に、集権的体制は、いかに民主主義体制を装っても、民主主義とは、相容れない体制である。選挙によって選ばれた者によって司られても、権力が一点集中する体制は、民意を反映しているとは、見なさない。
 故に、民主主義においては、選挙制度以上に権力が分散しているという事の方が重要なのである。

 民主主義を象徴する制度に選挙制度、議会制度がある。
 ただし、直接民主主義は、選挙そのものを否定している。そう言う意味では、選挙制度は、民主主義を成立させる絶対要件ではない。しかし、直接民主主義は、技術的に、物理的に困難な要素を多分に含む。結局、選挙による代議員制度が現実的選択である。故に、選挙制度、並びに、その在り方は、民主主義が成立させる、重大な要素である事には、変わりない。

 民主主義は、手続きの思想でもある。
 民主主義は、手続きによって検証、立証される。つまり、手続きに不備があると民主主義は成立しない。故に、民主主義は、手続きの思想である。
 国民の総意、合意は、観念的なものである。観念を現実に現すためには、手続きが必要である。国民の総意、合意を実体化するためには、正規の手続きに依らなければならない。故に、民主主義は、手続きの思想である。
 その手続きの正当性を国民は、理解すると伴に、手続きに習熟する必要がある。故に、国民として必要な手続きを学習するのは、国民の義務である。

 民主主義は、構造的、歴史的存在である。
 民主主義は、思想であると同時に、現実である。

 民主主義教育は、この様な、仕組みや制度を読むことが出きるように、追体験、経験、参画を取り入れながら、シムテマティクsystemtic、組織的、体系的に習得させていく事なのである。







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