憲 法(理 念)


 憲法は、民主主義国のモラルの起源。民主主義国にとって憲法は、全ての始まりを意味する。故に、全国民は、憲法の意義、憲法制定の経緯を熟知する必要がある。憲法は、国民の倫理、建国の精神だからである。

 民主主義国の教育は、憲法の理念に立脚したものでなければならない。憲法は、建国の精神。国民の定義。権利と義務。法と制度を定義したものである。これらは、民主主義国に生活する者にとって不可欠な知識と技術を明示したものである。

 民主主義は、思想によって維持されている体制です。故に、民主主義は、思想を教育しない限り、維持できない体制なのです。
 そして、教育は、教育そのものが理念なのである。特に、民主主義国においては、教育の在り方は、即ち、実質的な思想表現なのである。

 建国の精神に反するものを教育する事は、国家に反逆することである。国民国家である民主主義国にとってこの様な教育は、国民全体に対する反逆である。許されない。また、憲法に沿って思想教育をする事は、思想信条の自由、言論の自由と対立するものではない。なぜならば、憲法は、国民の総意を代表するものだからである。第一、思想信条の自由も言論の自由も、れっきとした思想である。思想教育をしてはならないとしたら、思想信条の自由、言論の自由も教育してはならないという事になる。思想信条の自由、言論の自由を教える事は、即ち、思想教育なのである。
 思想信条の自由、言論の自由が問題になるのは、憲法の理念に沿って教育することが他の思想を排除する場合である。そうでない限り、憲法の理念を教育することは、立憲国家の責務である。

 民主主義国における憲法は、基本理念として、自由、平等、博愛を根本的な原理としている。しかし、自由、平等、博愛は、象徴的、抽象的概念である。故に、自由、平等、博愛は、法や制度によって実体的に定義されなければならない。それが、民主主義である。民主主義が実用の哲学といわれる所以である。憲法は、この根本的原理を、国民の定義、国民の権利と義務、国家の法や制度によって実体的に表したものである。故に、民主主義教育は、自由、平等、博愛を実体的にした教育するものでなければならない。

 自由、平等、博愛は、憲法以前に、民主主義の基本理念である。この基本理念を、民主主義は、自由、平等、博愛を制度的に表現する。そして、憲法は、国家制度を定義する事によって自由と平等、博愛を実体的に定義する。
 民主主義の実態は、法や制度、仕組みによって現れる。その法や制度、仕組みの根源は、憲法である。民主主義の思想の根源が憲法ならば、教育の根源も憲法にある。しかも、民主主義が、思想を法や制度、仕組みといった実体的なものによって表現する以上、教育も実体的、実務的、実践的、経験的になされるべきものである。
 民主主義教育の目的は、法や制度、仕組みを、憲法の理念に沿って、実際的に追体験しながら、身につけさせていくのである。教育によって建国の精神を体得させるのが、民主主義教育の本旨である。

 憲法は、国民の定義、権利と義務を定めたものである。つまり、国民が守るべき事を定めたものである。同時に、国民に国家から与えられた権利、力を定めたものである。そして、国民が、等しく知らなければならない最低限の知識を明示したものである。それ故に、民主主義国における国民の守らなければならない最低限の決まり、定めを明らかにしたものである。故に、憲法は、民主主義国国民のモラルの真髄である。

 故に、憲法は、民主主義国の教育の原理なのである。







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