犯罪の抑止と非常時対策

 原初的な教育というのは、自分が生活を伴にしている集団の掟と外敵から自分の身を守る術である。そして、次に、餌や獲物の取り方である。これは、集団生活を営む生物として最低必要なことである。

 いわば、犯罪の抑止や外敵から身を守ることは、間脳や脊髄のように、原初的な働きをしているのである。原初的なものだから不必要だというのではない。むしろ、原初的であるが故に、ある種、教育の真髄を顕現しているのである。

 故に、現代の教育においても基本は同じであるはずである。

 集団の掟に対する服従や外敵から身を守ることは、集団生活を営む動物たちでも不可欠な教育である。いわば、根源的な教育である。

 我々が、教育に、何を期待するのかに対する根本的な問い掛けに対する答えなのである。生きること。つまり、生きる為に、必要な事。我々は、いつの間にか、自分の力で生きる事、その為に何が必要なのかを忘れてしまっている。
 文明は、我々をいつの間にか、家畜化してしまった。家畜化した人間の教育、それが、現行の教育だといってもおかしくない。生きていく為に、必要でないことを、ただ言われたままに言われたようにこなしていく。これは家畜である。野生に生きる者は、無駄なことは学ばない。研ぎ澄まされた感性で外敵から自分の身を守る。

 現行の学校教育には、どのような教育をすべきなのかについての基本的な構想、計画がない。つまり、基本理念が欠落している。その際たるものが、国家としての掟や外敵から身を守ることを教えないことである。国家とは、何か。教育の意義は何かを置き去りにしてしまっている。

 集団の掟を教える事と外敵から身を守ることを教えるのは、教育の原点である。

 我々が手にしているのは、家畜の自由に過ぎない。真の自由を手に入れるためには、野生の魂を呼び戻す以外にないのである。

 教育関係者は、生きていく為に必要な事は、卑しい事であると言う先入観があるのではないか。自分達は何か特別なことを教えているという奢りがあるのではないか。しかし、間脳や延髄が、人間の生命を司る部分をコントロールしているように、生きていく為に最低限必要なことを教える事は、根本的な教育の一つであることを忘れてはならない。



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