D 教育の場(空間)

 教育は、環境である。

 現代人は、環境が教育に及ぼす影響を軽視しがちである。軽視しがちであるどころか、教育環境に悪影響を及ぼすことが明らかなものの大部分が人工的なものである。原因を自分達で作っていながら、その責任を曖昧にしている。環境の悪化を放置、ないし、促進している動機が、経済的動機である。つまり、金儲けである。しかも、悪貨を促しているのが、環境を改善しべき立場に立つメディアである場合が多い。彼等は、後ろめたさがあるから、自分達が、子供に悪影響を与えていることを認めようとしない。認めないから、改善もされない。また、環境がどのような悪影響を与えていて、その影響がどのようにでるのか、その因果関係も明らかにされていない。
 しかし、少なくとも、いい影響を与えていないことだけは確かである。また、多くの保護者や教育者が意図した方向、望んだ方向とは、相違していることも明らかである。それが明らかなのに、視聴率が良いからとか、子供達が望んでいるからと言って、環境の悪化に歯止めをかけたり、自制しないのは、モラルに反する行為である。この点を我々は、大いに反省すべきである。
教育の効果は、孫の代に現れる。同様に、環境の悪化が与える悪影響は、孫子の代に明らかになるのである。因果関係がハッキリしないからと言って、環境の悪化を放置して良いという理由にはならない。
 
 場に働く力とは、例えば、異性との交際に正の力が働いているか、負の力が働いているかのようなものである。戦前は、異性との交際に対し、抑圧的、負の力が働いていた。それに対し、現在は、開放的、正の力が働いている。この様な環境下において性行動を抑止する力が働かなくなる危険性がある。また、性行動を促進するような教育は、過剰反応を引き出す可能性がある。逆に、負の力が働いているときに、抑制するような教育は、性に対する抑圧を生み出す危険性がある。つまり、教育は、その場に働く力の方向と加減を見計らってバランスのとれた教育をするように心懸けなければならない。しかし、多くの場合、教える物自体が、その場の雰囲気、つまり、働く力の方向に流されがちになる。この様な弊害を取り除くためには、教える立場の者は、自分に信念を持ち、その時代の中に正しく自分を位置付ける必要がある。

 以前は、性的経験があるかという質問に対し、ないと応えるように圧力がかかっていた。今は、あるという風に応える圧力がかかっている。この様に周囲からかかる圧力は、その子の行動規範に重大な影響を及ぼす。しかも、それが行為によって裏打ちされると、それは強固な確信や信念に発展するのである。もし、それを後で改めようとした場合、その人間の根本的な人格にもダメージを与えかねないのである。

 場に働く力が、その場にいる主体を発達させる。例えば、スポーツのルールである。サッカーでも、野球でも、最初からルールを全てマスターしてプレーするわけではない。プレーしている内に自然に身につけていくのである。これは、技能も同じである。この様な空間を準備するのが教育である。ただ、スポーツが作り出す空間は、特殊な空間である。教育の場は、日常生活の延長線上にこの様な空間を人工的に作り出さなければならないのである。

 教育の場は、学校だけではない。子供の生活空間全てが教育の場である。
 教育の場は、第一に第二に、家庭である。第三に、学校である。第四に、仕事場、職場である。第五に、地域コミュニティー、自治体、国家を含めた社会全体である。

 教育が、社会から受ける影響が大きいように教育が社会に与える影響も大きい。地域社会を活性化しようとする時、多くの人は、産業に目を向けがちであるが、むしろ、教育を中心とした、地域社会のコミュニティを重視した方が効果的である。確かに、産業は、その地域の産業を活性化することに役立つかも知れないが、文化を活性化するためには、力不足である。そして、経済の活性化は、文化の活性化があって持続するのである。文化の活性化なくして、真の地域の活性化はない。故に、教育機関を核とした文化圏の確立こそが、地域の活性化につながるのである。
 地域社会における教育の働きは、大きい。ある意味で、教育は、文化の発祥地点である。学校や教育機関によって地域社会は、大きく変動すると言っても過言ではない。その意味では、教育の在り方が、地域社会の活性化を握っていると言っても過言ではない。

 教育と環境は、双方向に影響力を及ぼす。それだけに、教育の在り方をどうするのかは、教育空間を形成する要素、主体、それぞれが、看過しえない問題なのである。




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