自    己

 
 自己の空間は、自己が認知できる範囲である。科学技術の発達により、自己に認識力が飛躍的に向上した。それでも、まだ死後の世界は、認識できないし、人類が到達していない宇宙の果ての世界も、認識できていない。この様な世界は、想像上は別にして、自己の外の世界である。

自己にとって教育とは、外部の世界を自己の内部に再現させる過程で自己と外界との関係を認識することである。

 自己の空間は、自己形成の場である。

 自己の内部にあっては、教育主体は、自己である。つまり、学習主体と教育主体は、同一主体である。

 自己の内面は、自己の肉体や行動を通してしか外部に表現することはできない。同時に、自己は、外部に写された像を通じてしか自己を認知することができない。この様な自己と外部世界は、相互作用によって生じる。故に、自己の内的世界は、環境や状況といった外部世界との相互作用によって発達し、進化する。
 故に、成長は、自己の置かれている状況と外部環境徒によって影響を受ける。自己の状況は、自己の肉体的限界の上に成り立っている。つまり、自己の内的世界の発達と自己の肉体的条件、身体的能力とは、不可分な関係にある。今日、各種の道具の発達によって人間の能力は飛躍的に向上した。しかし、それでも自己の内的な世界が肉体的限界の上に成り立っていることには変わりない。

 この様な自己は、外部に対する能動的、主体的な働きかけ、行動を必然的に要求される。それは、生存に関わる問題である。このような、能動的、主体的な働きかけができないと、自己は、主体的な意志を発揮することはできない。これは、人間の成長を肉体的にも精神的にも阻害する。

 一部の脳科学者や心理学者の中には、人間存在を脳の物理的、生理的運動に結びつけて説明しようとする傾向があるが、これは、自己の存在理由を解明することには、結びつかない。ただ人間の情動や意識の動きを説明しているに過ぎない。自己の存在そのものは、解明されていないのである。また解明しなければならない性質のものではなく、証明されるべき性質のものなのである。脳絶対論的な発想は、それこそ、脳が生み出した幻想である。

 自己の世界は、外界との関わりの中で自己の行為・行動により、形成される。その為に、学習行為は、不可欠なのである。
 そして、学習は、自己と外界、環境との相互作用によって成り立っている。このことは、行為行動は、内向きの作用と外向きの作用の二方向に働きを同時に併せ持っていることを意味する。むろん多層的な空間に置かれている場合は、多次元的な作用を持つことになる。

 この事は、学習に際し、人間の行動、行為が決定的な役割を持っていることを示している。学習というのは、受動的な作用ではなく、能動的、受動的作用の両面を持っており、どちらかといえば外部に対し能動的な側面を持っていることを意味する。つまり、学習は、行動や行為によって外部への積極的な働きかけによって開発される。

 この様に自己内面の世界と外的世界は、自己の行為(見る、聞く、読むと言った受動的認識行為も含め)、行動によって結びつけられており、学習は、外界への積極的な働きかけによって成り立っているのである。





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