先生へ
指導者とは
有能だけれど他人の意見を聞かない者と、無能だけど他人の意見に耳を傾ける者がいたら、圧倒的に後者の方が指導者に向いている。
逆に前者は、有能であればあるほど、指導者には不適格である。
指導者は、人の長所を見抜いて適材適所に配置する事が仕事なのである。
組織は、一人ひとりの人間の限界を前提として成り立っている仕組みなのである。
他人の力を認める事の出来ない者は、自分以上の仕事を組織にさせる事はできない。
自分の事を相手は嫌っているのだという理由で相手の意見を聞かなくなる。
それは、自分が他人より劣っていることはないと思いたい劣等感のなせる仕業である。
今の学校は、先生の立場を確立していない。
先生を生徒の下座に立たせたり、先生の権威を認めようとしていない。
学校そのものが反権威、反権力、反体制の巣窟となっている。
生徒たちは、先生に教えられたとおり、先生を馬鹿にして、蔑ろにしているのである。
生徒は全く先生の教えに忠実である。
人間もまた、動物なのである。
動物は、言葉で情勢を理解しているわけではない。
動物は、情勢を形で理解しているのである。
だから、形が重要なのである。
権威だの立場だのを侮蔑している癖に、先生は、先生という立場、権威に固執している。
真の指導者は、生徒を教え導こうとするものである。つまり、生徒のいいところを伸ばし、弱点を改善しようとする。そのためには、生徒一人ひとりとと向き合い、その子のいいところ、悪いところを直視する。しかも、自分が相手に劣っているところを悟れば、それを素直に認める事を躊躇ったりしない。
だから、現状の教育体制に固執する限り、今の先生は、どこまで行っても先生なのであり、真の指導者にはならない。
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