教育の理想を求めて
物に本末が有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則、道に近し。(「大学」)
日本人の美徳は、どんな災害にあっても規律を失わず、統制が取れている事だと世界中の人達が称賛してきた。
そこには、規律を重んじてきた日本人の伝統意識がある。
その伝統意識が失われつつある。
それは、日本人の力を怖れ、日本人を堕落させようとしている勢力の影響による。
戦後日本の教育では、管理や規律は悪だとされたきた。
事務は管理であり、手続きは規律である。
学校教育において管理と規律が蔑ろにされはじめてから、事務や規律が乱れ始める。
事務や規律が乱れはじめる事によって組織に統制を失い、制御ができなくなった。
学校教育で管理や規律を否定した時から事務や手続きが壊れ始めたのである。
確かに、事務や手続きは、鬱陶しく、面倒くさい。形式的でもある。
しかし、事務や手続きは、鬱陶しく、面倒くさいから役目を果たす事ができる。
事務や手続きは、形式的な事なのである。
例えば結婚である。結婚は、事務や手続き、更に、慣習や礼儀作法が加わって、煩雑で鬱陶しく面倒くさい事であった。しかし、近年、結婚式の簡略化が進んでいる。それに並行して離婚も増えている。結婚の手続きが煩雑だから離婚も抑制されてきたのである。
大体事務や手続きを否定したら民主主義は成り立たないのである。
管理や規律を失くすために事務や手続きの弊害を並び立てているかのように見える。
また、事務や手続きは、要件によって意義される。
管理や規律は、外延的な事であり、あいまいさを嫌う。スポーツのルールが好例である。
曖昧で例外だらけのルールは、ルールとしての役割を果たさない。
基本的にとか、原則的にという文言が入るとルールは、ルールとしての効力を発揮できなくなる。
事務や手続きは合目的な事である。
事務や手続きは、本来の目的を見失うと形骸化する。
形骸化すると事務や手続きは、形式のみが残されて本来の働きが失われる。
形骸化した事務や管理は、本来の働きが発揮されずに、負荷だけがかかるから、仕事の効率を低下させる。
しかし、それは、事務や手続きの必要性の悪いのではなく、事務や手続き本来の目的が見失われたからである。
ところが意味もなく管理教育は悪い、形式主義は悪いと管理や規律を学校教育は否定した。
それが今日の混乱を招いているのである。
管理や規律の根本は、難しい事ではない。
決められた事は、守る。
指示された事はやる。
やった事は、報告する。
この三つに要約される。
そして、この三つの事柄が履行されない原因の多くは、個々人の怠慢である。
しかし、この三つが守られなくなれば管理や規律は、維持できなくなる。
決めても指示しない。
指示されてもやらない。
やっても報告しなければ管理はできない。
規律や管理の崩壊は、最初は些細で一見どうでもいいような事柄なのである。
しかし、その些細でどうでもいいことが積もり積もっていくと全てがだらしなくなり、全体を制御する事ができなくなるのである。
「お金」がいい例である。横領だの背任事件は、最初は返せるくらいのお金から始まるのである。ところがそれが積もり積もって一朝一夕には返せない額になり、終いには、心の箍が外れてしまうのである。始めは出来心に過ぎないのである。
自分一人くらい、こんな事ぐらいという行いが結果的には全体の崩壊をょ招くのである。
だから、日本人は、些細で細かい事を大切にし、守ってきたのである。
そういった些細でつまらない事でも日本人一人ひとりの心に隙を作り、最後には、日本人の精神そのものを堕落させてしまう。
管理だの手続きというのは、それ自体は無意味で些細な事だけれど、しかし、全体として大きな意味を持っている事を忘れてはならない。
仕事の基本は変わらない(不易)が、実際の仕事は、一回一回違う。(変易)しかし、その根本を貫く関係はいったって単純(簡易)である。
段取りや手順、筋道といった普遍的な基準を守りながら、一つ一つの計画を練っていけば、比較的簡単に仕事の水準を保つ事ができる。仕事の不易、変易、簡易を知ることが管理の近道なのである。
実行不可能な命令、要件を満たしていない命令、倫理観に反した命令は出してはならない。なぜならば、それは指示・命令の効力そのものを弱めるからである。
指示・命令は、必ず実行されなければならない。
教育は管理である。
基本について
執務要領
報告・連絡・相談
手順・段取り
形を重んじる
仕事を学ぶ
チームワーク・集団活動を学ぶ
段取りをとる
仕事の論理
井戸端会議と会議は違う
仕事には始まりと終わりがある。
基本
仕事の基本
報告書の書き方
企画書の書き方
物事には順序がある
組織的意志決定
仕事について
組織は情報系である。
事前の準備
躾
基本は形にある。
形を重んじる。
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、 一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures
belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout
permission of the author.Thanks.
Copyright(C) 2016.9.26 Keiichirou Koyano