A そうだ、学校を作ろう


 そうだ、学校を作ろう。
 志さえあれば、学校は、どこでもできる。同じ志を持つ者を捜せばいい。ただ、それだけだ。

 学校というと、皆、授業料を払って、校舎へ行ってと思う。そして、最後には、卒業証書をもらう。でもそれは、本当の学校の姿ではない。
 学校というのは、学舎である。何かを学ぼうという意志が、学校を作っているのだ。ならば、志さえあれば学校はできる。授業料も校舎もいらぬ。卒業証書などさらさらいらぬ。大体、卒業するかしないかを、他人に決められてたまるものか。学問というのは、自分が納得したときに卒業と決まっている。
 同じ志を持つ者が集う場所、それが、校舎だ。それこそ、喫茶店でも、インターネットの中でも、どこだって校舎になる。決められた場所でなければ、勉強ができないというのは、志のない証拠だ。場所なんてどうでも良い。同じ志の仲間、同志がいさえすればそれで良いのだ。

 師は、皆で捜そう。師は、自分達で選ぶ。それが本当の学校の姿だ。だから、先生がいなくとも学校はできる。友達どおし、教えあってもかまわない。

 今の学校は、残念ながら、卒業をする事が、目的になってしまっている。それでは、学校ではない。教習所だ。同じ教習所でも自動車教習所は、免許が取れる。それだけましか。本当の学校は、卒業証書をもらいに行くところではない。学びに行くところだ。生きる為の術を身につけに行くところだ。だったら、職場だってすぐに学校に変身する。板前の学校は、板場だ。
 いつ卒業するかは、自分で決める。所詮、人生に卒業はない。ならば、本当の学校には、卒業なんてないはずだ。卒業なんて、通過点に過ぎないのだ。

 だから、学校を作ろう。僕らの心の学校を・・・。



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