ひきこもり
なぜ、あなたは、引き籠もるのですか。あなたには、引き籠もる必要も、理由もない。あるとしたら、引き籠もらなくてはならない、原因だけだ。その原因が理解できれば、あなたは、引き籠もる必要がない。
引き籠もるなんて、悔しいではないか。この世の一切合切の矛盾を一身に引き受けて。ただ、ごめんなさいと身を小さく、縮め。社会の一隅に、人様に迷惑にならないように、済みませんと閉じこもる。そこにすら居場所がなくなると申し訳ありませんと自殺するしかなくなる。悔しいではないか。なぜ、そんなに自分を虐げなければならないのか。
不登校や引き籠もりというのは、本能的に、体や精神が学校や社会を忌避しているのである。そう言う要素が、学校や社会のどこかに潜んでいる。まともであればあるほど、学校や社会の歪みに敏感になる。だから、自分を責めるばかりでは、問題の解決にはならない。自分をそう言う状態に追い込んでいる者の正体を見極めるのだ。
原因の一つは、学校にある。次に考えられるのは、家庭の問題である。その次に、社会の問題。むろん自分の問題もあるけど、でも、それって決定的な問題とは言えないと思う。最終的には、自分の問題になるけれど、先ず環境の問題だよね。環境を変えなければ、自分は、変われないのだから。
考えられる第一の原因は、あなたが外部の世界とうまくつきあえない事だ。その要因の一つは、技術の問題である。今一つは、精神的な問題である。今一つの原因は、引き籠もれる環境、引き籠もる環境である。つまり、環境の問題だね。
解らないという事を気に病むことはない。当たり前だろ。解らないのが、当たり前だろ。だって、誰からも、教わっていないのだから。いいかい、社会生活をしていくために、学ばなければならないことは沢山ある。いろいろな事を身につけていなければならない。挨拶の仕方。食事の仕方。口のきき方。仕事の仕方。酒の飲み方。友達の作り方。男と女の話。でも、その肝心な事を誰も教えていない。否、教えていると錯覚している。
学校では、社会に出て自立して生きていく為に必要な事は、教えてくれない。学校は、そう言う事は、家庭で躾るものだと思っている。家族は、学校で教えてくれると思っている。いずれにしても、社会は、知っている。解っている。身につけていると思いこんでいる。こうなると立つ瀬がない。知らない奴は、馬鹿みたいだもの。でも、誰も教えていないんだから、知らないのが、当たり前なんだ。だから馬鹿にするなと思えばいい。
学校と言うところは、余計なことは、沢山教えてくれるけど、肝心な事は、何も教えてくれないと思っていて欲しい。知らなければならないこと、教わりたいことは、何も教えてくれないけれど、教わらなくて良いことは教えてくれるところ、それが学校である。何せ、教育関係者自体が、役に立つことを教えてはいけないと思いこんでいるから。君たちが馬鹿なのではない。誰が馬鹿なのかは、ハッキリしているよね。だから、引き籠もるなんて、悔しいじゃあないか。
孔子様だってこういっている。「予め教えないでおいて、いきなり死刑にする。これを虐という。放任していおいていきなり実績を示せと責任を追及する。これを暴という」周りの人間は、なんと暴虐か。(「論語の読み方」 山本七平著 祥伝社黄金文庫)
だから君たちも、学校で、必要な事は教わっていると思いこんでいる。でも、いざ社会に出ようとすると、自分が何も知らないことに気がつく。口のきき方を知らないから、しゃべれなくなる。仕事の仕方が解らないから、どうして良いか解らない。酷い話、学校と自宅の間を往復してばかりいたから、自分一人で、街を歩くこともできない人も沢山いる。でも、周囲の人は、そのことに気がつかない。ひょっとして、自分でも気がついていないかも知れない。それで、自分だけができないんではないか、自分は、異常なんではないかと思いこんではいないか。自分は、馬鹿なんじゃあないかって。箸の上げ下ろしと言うけれど、箸の上げ下ろしも解らない。当然だよ。誰も教えていないんだから。
君は、異常でも、特別でもない。とんでもない、当たり前なの。教わっていないから。社会に出る準備ができていないんだよ。準備ができていないのに、放り出されてしまう。それで傷ついて臆病になっても責任をとるのは、君たちだからね。充分自覚して、注意して欲しい。
言いかい、引き籠もる理由なんて、たいそうな理由なんかじゃない。日常的でつまらない、ささいない理由なんだ。だから始末が悪い。人に話しても解ってもらえないし、自分だっていっても仕方がないと思いこむ。だから、他人に打ち明けられずに、一人で閉じこもる。
でも、その一見つまらない、ささいな事が重要なんだよ。つまらない事が解っていない。できないという事に気がついて欲しい。気がつけば、糸口が見つかる。出口が見えてくる。
人が躓(つまづ)くのは、大きな岩ではない。目に付かない、気がつかないような小石だ。だから、一見して些細でつまらない事、言っても仕方がないと思うような事。それが、大事なんだと思って欲しい。
何でもない、些細でつまらない事だから深刻なんだ。微分積分ができないから引き籠もるのではない。挨拶ができないから引き籠もるのだ。自殺だってする。英会話ができないから、引き籠もるのでもない。日本語ができない。人前でうまく話せないから、引き籠もるのだ。微分積分ができないことよりも、足し算引き算ができないことの方が深刻だ。
それに、皆ができるのに、自分だけできないと思いこんでいる。違う、違う。できない人は沢山いる。だって誰も教えていないんだから。ただ、恥ずかしくて言えないだけだ。自分だけができないなんて思いこんだら、おしまいだよ。うまくできない人は、沢山いる。でも、誰も相談できないんだ。相談できたら救われる。だって今でも、ニートといわれる人が、四十万人いるっていうんだから。
引き籠もったり、不登校というのは、ある意味で普通、正常だと思うよ。皆が、行くから行くという方が、異常に思える時ってないかな。赤信号、皆が、渡れば怖くないっていうけど、それでいいのかな。その時、一人で立ち止まる方が、ずっと勇気がいると思うな。馬鹿みたいだけどね。だけど、そう言う人って貴重だよ。でも、目立つよね。目立つから、異常者扱いされる。だけど、以前は、学校に行く人の方が少なかったんだから。
皆がやるから、僕もやるというのは、楽なんだよ。でも、それっておかしくない。けどそう思って立ち止まったら、異常者扱いだ。だから、引き籠もるしかない。でも馬鹿げているよ。何も間違った事している訳ではないんだから。ただ、少し、おかしいと思っただけ。その方が、まともだよね。遅かれ早かれ、皆、気がつくだろうから。このままで良いのだうかって。良いわけないでしょ。だから、引き籠もったり、不登校になる奴の方が正常なのかも知れない。ナーバスで、神経質じゃないかって。々かな、自分がその立場に立ってみないと解らないね。でも、引き籠もったり、不登校になる理由というのは、別に不思議でもない。特殊な事でも、ごくごく当たり前な事。一寸したきっかけで誰でも落ち込むところ。そう思っていればいいよ。僕だって、幾度となく、そう言う局面に立たされたもの。ただ、きっと僕は、運が良かったんだと思う。運だよ。運。ラッキーってとこかな。
こういう話がある。ある町の町はずれに底なし沼がある。その沼をのぞき込んだ者は、誰も戻ってこれない。自分を取り戻した者以外はねって。これってウォール街て映画に出てくる台詞だけど、僕は、それを聞いた時、すごく納得した。底なし沼ってどこの町にもあるんだよね。
引き籠もっているとか。学校に行っていない。仕事をしていないなどということが解ると、周囲の人間は、「大変ですね。大変だね。」と言う。特に、親に向かってね。深刻ぶって言う。親も、大変だ、深刻だと思いこむ。社会問題化してくる。まるで、犯罪者か、異常者のような扱いをしてくる。でも、本当に大変なの。何が、深刻なの。
何が大変で、何が深刻なのか。解っていない。ただ、深刻ぶっているだけだ。実際は、大変だ、大変だと騒いでいることで、事態を深刻にしてしまっている場合が多い。冷静に何が問題なのかを見極めることだ。迷ったり、悩んだりしているだけなら、当たり前な事、普通な事である。深刻だとしたら、むしろ、相談相手がいないことだろう。それは、当人の問題より、周囲の人間の問題である。だいたい当人にとって、引き籠もったり、学校に行かなかったり、仕事をしない理由は、それほどたいそうな問題でない事が多い。原因さえつかめれば、解決がつくことである。問題があるとしたら、どうしたらいいのか解らなくなったり、解決の糸口が見つからなかったり、キッカケがつかめないことである。それが深刻なのである。
逆に、周囲が騒げば騒ぐほど、どうしたらいいか解らなくなり、糸口がなくなり、キッカケがつかめなくなる。大変だと言うから、大変になり。深刻だというから、深刻なるのである。
問題は、キッカケである。どうしたらいいのかである。深刻でない事を、深刻にしないことである。
それに、他の人が、何でもないように、簡単に、やっているように見える事でつまずくと、ものすごく臆病になるよね。些細なことで注意されると神経質になる。パニックになる。恥ずかしくて逃げ出したくなる。死にたくなる。だから、逃げ出して、最悪自殺してしまう。だけど、死ぬ理由なんて、死ななければならないような、たいそうな理由じゃないんだよ。自殺する理由なんて、他愛のないことさ。些細な事。他人に聞くのも恥ずかしい様なつまらない事。だから、深刻なんだ。自分でも自覚していない様な、そんな些細な事。
例えば、挨拶の仕方。でもね、挨拶なんて、決まった形なんてないんだ。その土地でも違うし、家族や信じる宗教によっても違ってくる。仕事場や職業によっても違う。結構いい加減なんだ。でも、言いかい、挨拶ができなければ、やくざにもなれない。これって怖いよね。どうでも良いことなんだけど、それができないと、社会の一員になれない。だから、とりあえず、一つの形を早く覚えよう。その為には、それを教えてくれる人を捜して、素直に教わればいい。くれぐれも言っておくけど、こんな事も知らないんだと言われても、恥ずかしく想い必要は、全然ない。ただ、嗚呼、知らないんだと自覚すればいい。
難しい意事ができないから、深刻なのではない。当たり前なことができないから深刻なのだ。でも、学校では、難しいことばかり教えて、当たり前なことは、何も教えてくれない。だから、教えてもらえば、当たり前なにできることが、できない人がうまれるのだ。だって、学校になぜ行かなければならないの。この当然ハッキリさせなければならないことに答えられない大人が沢山いるじゃあないか。
今の学校は、人との付き合い方を教えてくれない。教えてくれないどころか、閉ざされた、異常な世界で、偏った人間関係を作り上げている。その人間関係の中に入り込めなくても何の不思議もない。もし、そこで自信をなくし、引き籠もっているとしたら、自信を取り戻して欲しい。それは、あなたの性ではないのだから。ただ、あなたは、きっと純粋すぎたのでしょう。そして、より開かれた世界に心を開いて欲しい。きっとあなたを、受け入れてくれる世界はあるはずだ。少なくとも、外へでていこう。
次に、もし仮に、人とつきあうために、どうしたら良いか解らないと思いこんでいる人がいたら、それは、君だけではないという事を知って欲しい。皆、解っていない。昔は、いろいろのところで、いろいろな人が、人との関わり合いの仕方、礼儀だとか、作法を教えてくれた。例えば、町内のお兄さんやお姉さん。隣の家の頑固親父。親戚のおじさんやおばさん。でも、今は、誰も教えてくれない。その分、皆、寂しいんだ。だから、周囲の人に心を開いて、素直に聞いて欲しい。皆、結構、君のことを気に掛けていてくれる。
次に、引き籠もることができる環境、引き籠もれる環境があると言う事だ。でも、これってある意味で恵まれた環境だと言う事を忘れないで欲しい。いつまでも、許されるわけではないという事。そして、ある種の幻想の世界だと言う事。君が住むべき世界ではないという事に気がついて欲しい。そうしないと取り返しがつかないことになる。
第一に、個室。第二に、テレビ。第三に、食事。第四に、身の回りのこと。例えば、床屋や衣服。今は、特に、親御さんが生きているうちは、あたかも、保障されているように錯覚していられるけれど、自分が一人取り残されたら、自分の手で獲得し、自分で守っていかなければならないものだと言うことを解って欲しい。
そして、迷惑という言葉が引き籠もりを生み出している。迷惑を掛けず生きていける人はいない。迷惑を掛けるのは、仕方がない。当たり前なのだと思って欲しい。当たり前でないのは、人に迷惑を掛けているのに、感謝をしないことだ。
親を責めても無駄だ。親は、自分は、間違ったことをしているとは、思っていない。とにかく、良い学校に行かせていれば、自分の責任は、果たしていると勘違いしている。勘違いしている。子供は、子供で、親を信じ切っている。だから、急に、学校に行かなくなったり、学校を卒業したのに、働かなかったら、どうしていいのか解らないで、戸惑い、あわてていだけなのだ。それしかできない。そして、脅えているのだ。
親も、子供も、わけが解らなくなっているのだ。自分の育て方が、悪かったのかなんて、自分で、自分を責めたりする。そんな、親を見ると、子供は、ますます混乱し、困惑する。これまでの人生は、間違っていたのかって。間違っていたと言うより、必要な事が、欠けているのだ。
親だって正直言って、どうしていいか解らないんだよ。自分の生き方に自信があって、責任を持っている、親が、どれくらいいる。子供を産む事だって、できちゃったくらいの覚悟しかしていない親が沢山いるんだ。無責任だよ。でも、おやを今更、責めてどうなる。何も解決しやしない。それよりも、自分が賢くならなければ。進学だって、別に深く考えているわけではない他の家の子が皆、進学するのに家の子だけ進学しないと言うのは、世間体が悪いからぐらいの理由だよ。その程度のことで、自分の一生を決められたらつまらないじゃないか。自分で決めるんだ。
今の進学制度は、立ち止まることが許されない。立ち止まって考えると、あっという間に、進学コースからはみ出し、、おちこぼれてしまう。しかし、本当にそうだらうか。立ち止まる勇気がないだけなのではないか。
一度、学校や社会から離れると、今度は、馬鹿らしくていけなくなる。でも、そこで引き籠もってしまうと、どんどん内へ籠もることになるよ。生きる道、生きる術を見いだすんだ。学校なんか、行かなくても生きることはできる。でも社会との接点を失うと生きられなくなる。それが一番の問題だ。
私の父は、小学校しか出ていない。社会に出てからもいろいろとぶつかったらしい。でも、父を認めてくれる人に出会って救われた。それから、実力を発揮した。学校なんて問題じゃない。生きる術を身につけることだ。その為には、修行が必要だ。
修行だと思うことが大事だ。でないと辞め癖がつく。これからが本当の勉強だと思うことだ。それから、自分で選ぶ事、探し出すことだ。陶芸家や伝統工芸の職人に弟子入りするのも良い。板前になるのも良い。昔は、漁師や百姓になれば良かった。今でも遅くない。なり手がいないんだから、チャンスさ。自分で自分の生きる道を捜すんだ。他人を頼らなければ、必ず見つかるさ。
結局、最後は自分なんだ。自分で、自分の心の扉を開くしかない。自分を信じるしかない。心を強く持とう。自分を信じよう。
先ず、神を信じて欲しい。あなた方は、神によって生かされている。先ず、それを信じて欲しい。あなたがこの地に生まれ。あなたがここに生きているのは、神が、あなたをこの地に、送りこまれたから。だから、あなたは、一人ではない。常に、あなたの側には、あなたの神が居られる。あなたは、先ず、その神と向かい合うのです。誰からも、愛されていないなどと、思いこんではいけない。少なくとも、神はあなたを愛されておられるのだから。神の愛を受け入れるか、入れないかは、あなたしだい。神の愛を受け入れた時、あなたの扉は開かれる。だから、神を信じて欲しい。
あなた方は、神の祝福を得て、この世に生を受けた。あなたがこの世に生まれたというのが、その証。それなのに、なぜ、あなたは、そんなところに、引き籠もらなければならないのか。その原因を考えてみよう。
悔しいじゃないか。せっかくこの世に神の祝福を得て生まれてきたというのに、たった一人で閉じこもっているなんて。哀しいじゃあないか。
とにかく、自分の神を持つ事だ。そして、あなたの神を信じることだ。全ては、そこから始まる。
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