教育ってなあに


思    想


教育とは、明瞭なる意志。

日本の教育の根本思想は、憲法にある。
憲法にかなり、明確にされている。
日本の建国の理念は、民主主義、自由主義、個人主義、資本主義、平和主義である。

建国の理念を、まともに議論できない事によって、思想や哲学が、学問の世界では、研究の対象にしかならなかった。その結果、日本には、哲学学者は居ても、哲学者は、いないくなってしまったのである。

哲学や思想の根本を議論することができなくなった結果、言論界に哲学や思想に関する基礎的な素養が失われた。そのために、意識するしないは別に、いろいろな錯誤が生じた。たとえば、民主主義を無政府主義に取り違える。
自由主義を刹那主義と錯覚する。
個人主義を利己主義と勘違いする。
資本主義的政策と社会主義的政策の区分ができない。
平和主義を無抵抗主義だと勝手に決めつけ、思いこむ。
やれ自由だ、プライバシーだと、てんでんバラバラ、根本も理解しないままに、自分の独善的な考えにレッテルをつけて、勝手に主張する。
これでは、誰が、言っている事が正しくて、誰の言っている事が、間違っているのか検証のしようがない。

とにかく、マスコミを中心に、反政府、反体制、反権力、反権威が、絶対的な理念であるかのように一世を風靡した時代があった。反体制主義や反権威主義を装っていれば、知識人としてみられるような時代があった。それは、ファッションにまでになった。
教育界もそれに毒されている。

国家を否定することは、無政府主義になる。
むかし、ある評論家が、無思想という思想を言ったことがある。まあ、評論家が言う事だから、聞き流せばいいのだろうけど、影響が大きすぎた。
無思想というのは、無政府主義に通じる。
それでなくとも、無責任である事は確かだ。

真ん中も左から見れば、右になり。

国益などというと、民族主義者、国家主義者、全体主義者、愛国心などというと、右翼かなどと言われてしまう。これでは、まともな議論が、できない。
アメリカのようなバリバリの民主主義国だって国益を重視する。共産主義国でも、愛国心を鼓舞する。国益のために戦う、自由主義者もいれば、愛国心のない右翼もいる。

戦争に負けたからといって、敗戦の原因を全て国家にかぶせて、国家そのものを、否定するのはおかしい。
それは、敗北主義である。

教育を語るのならば、まず自分の思想を明らかにすべきだ。そして、国家観もハッキリとすべきだ。反社会的な者、反政府主義者は、国家機関で教育をすべきではない。
なぜなら、それぞれの目的とするところが違うからだ。

教育は、元来が、思想的なものである。その証拠に、多くの思想家、哲学者がライフワークとして、教育に取り組んでいる。
それでなくとも、民主主義は、最も、教育を重視したというより、教育を土台にして組み立てられた理念である。
我が国の教育を考える時、思想は避けて通ることはできない。




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