教育について
教育の本当の姿
教育には、教わる、学ぶ、教えるの三つの要素がある。つまり、学習、研究、指導の三つである。方法には、座学と修行の二つがある。これらの要素がバランスよく行われてはじめて、教育の効果があらわれる。
座学の根本は、知識の取得であり、修行の根本は、経験の蓄積である。
教育の原点は、遊びや徒弟制度のようなものかもしれない。
徒弟制度の方が、よほど、現行の教育より、教育の目的がハッキリしている。むろん、徒弟制度にも欠点はある。しかし、徒弟制度には、現在の教育が失ったものを持っている。それは、修行の要素である。また、なによりも、徒弟制度は、長い時間、職人を育成してきたという実績がある。
現行の教育では、主体性を重んじると言いながら、主体性を認めない。生徒達の意志や希望を無視する。早く社会に出て、仕事を覚えたいと言っても、一人前でないとか、世間体とかで許さない。社会勉強というものを認めていないのである。
徒弟制度を認めないから、良い技術者が育たない。教えない、教育が、あることを知らない。教えられない事が、あることを認めない。
それは、教える側の人間が、教育の意味や目的を理解していないからである。
最も、有効な教育手段は、遊びである。しかし,今の教育には,遊びがない。だから,効果があがらない。眼をきらきらさせながら、遊びに熱中していた子供から、遊びを取り上げ、おもしろくもなければ、役にも立たないことを強要する。それを教育だと思っている。子供達の眼から、輝きが失われ、勉強とは、拷問のように辛いものだという思いしか残らなくなる。そして、とうの教師が、勉強とは辛くておもしろくないものだと言うから、だめ押しされる。
今の学校は、遊びを教えない。教育や学問に、遊びがない。だから、現代人は、遊び方が下手である。遊びを知らない。遊びの価値観がない。遊びの美学がない。遊びを否定するから、今の教育者は、遊びを教えられない。
本来、遊びと勉強は一体のものである。遊びによって観察眼が養われ、社会経験が積まれる。遊びの中で真の人間関係を学ぶ。人生の喜びも、楽しみも、遊びから学び、遊びから収得する。遊び仲間こそ、真の友である。
こう考えると、仕事は、遊びの延長線上にある。遊ぶために働いていると言っても過言ではない。だから、仕事に生き甲斐を感じることができる。仕事に喜びを見いだせるのである。
遊びは、文化である。遊びから文化は生まれる。遊びから、文化は、発達する。地域社会は、遊びの中から文化を育む。祭りがいい例だ。祭りは、祭礼である。神がいる。祭りに人は没頭し、その中で地域社会のしきたりや人間関係を身につけていく。遊びこそ、民主教育の原点なのだ。
よく学び。よく遊べ。遊びながら学び。学びながら遊ぶ。遊びと勉強や仕事を区別すべきではない。遊びの中に全ての教育の要素が含まれている。
遊びは、自由に通じる。遊びは、主体的なものである。強制されるものではない。子供の遊びは、学びの原点である。
障害や能力不足は、教育上において差別を受ける理由にはならない。逆に、教育を受ける権利である。
ハンディがあるからこそ、すばらしい人生を送った人間もいる。人の一生は、何を天から授かったかによって決まりのではなく、何を志したかによって決まる。ならば、教育とは、人に志を与えることである。
教育の重要性は、人を選別したり、差別することではない。人を育むことだ。一人一人の中にある可能性を信じさせることだ。自信をなくさせたり、絶望させることではない。
良く子供を観察し、子供達から、自分たちが、学ぶ事が、大切なのである。教育について観念や理念が先行し、肝心の子供達が忘れられている。子供達は、自分の力で学んでいる。教育は、その子供達の学習を手助けするのが、本筋であり。子供達から、好奇心や興味を奪って、大人の勝手な理念を、押しつけるのは、むしろ、教育の本筋とは、逆行して
いる。
大きくなったら、何になりたいと、子供達に、聞けば、いろんな夢を子供達は、語ってくれる。その子供達の夢は、どこへ行ってしまうのだろうか。教育の現場に子供達の夢は、反映されているであろうか。大人達は、答えを急ぐあまり、勝手に子供達の将来を決めつけ、子供達の夢を無視し、圧殺してはいないだろうか。教育にとって子供の夢は、一番大切であり、最大の味方なのに、それを、結局、最大の敵にしてしまっている。その結果、教育の現場から夢が失われている。夢がないところに、ゆとりなどありようがない。
最も反教育的な所行は、子供の自発的、向学心の芽を、摘んで、学問に対する嫌悪感を、植え付けるような、所行である。しかし、それが、学校で行われているとしたら、亡国の教育と言わざるをえない。
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、
一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including
all the tables, figures and pictures belongs
the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce
any copyright withiout permission of the
author.Thanks.
Copyright(C) 2004.2.5 Keiichirou Koyano