働く喜び

 パンをよこせと反逆した者が、国のためにと死んでいく。その差はどこから生まれるのであろうか。それは、内面の動機である。国家が、国家としての働きをしなくなった時、人は、パンをよこせと騒ぎ出す。国家が、国家としての働きをしている時、人は、その国のために、命を賭して戦う。国としての働きとは何か、それは、自己実現の場を与えられるか、否かに、関わってくる。

 そして、自己実現の最大の手段は、仕事であり、労働である。
 
 一所懸命にやっていると面白くなるのが仕事であって、そうならないのは本当の仕事ではないとヒルティが言っているそうである。蓋し、慧眼である。(渡部昇一「先知先哲に学ぶ人間学」致知出版)

 働くことは生き甲斐である。教育の大きな役割の一つは、働く喜びを教える事である。労働が苦しみなのは、過重な労働、過酷、劣悪な労働環境故である。環境を整え、条件を改善すれば、労働は、喜びになる。
 労働を喜びに変える場にするのが、国家である。ならば、学ぶことを喜びにする場が学校である。

 労働者の哲学といいながら、労働の尊さ、喜びを徹底的に否定しているように思える。学ぶ喜びの否定は、働く喜びの否定につながる。労働者は、労働にこそ活路を見いだすべきである。

 労働条件の改善が、常に、働く時間を減らすことに傾くのはなぜだろう。休みを増やせば、人は、幸せになれるのだろうか。それは、間違った認識による。労働条件の改善は、労働を喜びに変えるためのものであり、労働を削減する事が、目的ではない。働きたいと思っている者を無理矢理休ませるのは、本末転倒である。それは、労働を忌避しているからである。

 なぜ、女性は、社会へ進出しようとするのか。それは、働きたいからであって、貧しいからではない。一方で、女性の社会進出を奨励しながら、もう一方で、休日を増やす。その矛盾に気がついていない。時には、家庭や家事を抛り出し、夫と離婚してまでも働きたいという。なぜ、女性は、そこまでして働きたいのであろう。それは、労働が、自己実現の手段だからである。労働が苦痛ならば、誰が、好き好んで、働きに出るであろう。労働は、喜びなのである。

 女性は、働く喜びをしている。しかし、なぜか、女性の仕事から育児と家事が失われつつある。それも、労働を苦痛だと、卑しむ傾向の現れの一つである。
 育児も、家事も、尊い仕事である。意味のない、下層な仕事ではない。何よりも、愛する者達のためにという目的が明確である。
 育児から解放された瞬間に多くの女性が、生きる目的を喪失してしまう。育児は、生き甲斐なのである。

 働かざる者、食うべからず。それが、根本精神であった。しかし、労働を忌避することから、この精神は失われつつある。

 かつて、働かずにも生きていける。それが特権階級だった。特権階級というのは、不労階級である。労働運動の多くが、この不労階級の否定から始まる。
 しかし、不労階級を否定する事が、勤労の否定に結びついたのは、皮肉な現象である。働かずに生きていける階級を特権階級とし、皆がその特権階級に入る事で豊かさを証明しようとしているかのごとくである。しかし、それは、錯覚である。豊かな生活は、特権階級化する事で実現するわけではない。その人・その人の心の有り様によって決まる。物質的な尺度だけで測れるものではない。高齢者から職場を奪うのは、豊かさの証明ではない。むしろ、貧しいからである。

 働かずにも食べていける。それを目的にした連中がいる。彼等は、根本的に怠け者なのである。そして、自分が怠け者だから、皆も怠け者だと決めつけただけだ。しかし、多くの人々は、働かないでは生きていけない。仕事を奪われたとたん、精神も肉体も衰え、不幸になっていく人間が大多数である。多くの人は、死ぬまで働きたいと思っている。

 ワークシェアリングという発想がある。雇用を確保するための手段である。しかし、その根底にも、労働蔑視の思想が見え隠れする。働きたければ、働けるかぎり働けばいい。問題なのは、労働条件が、非人間的なまでに劣悪な時だ。しかし、それを、全てに当てはめるのは、愚かな事である。

 問題なのは、労働に意味を、見いだせなくなっていることである。勉強に意義を見いだせなくなってように。それは、労働に意味がないのではなく。勉強に意義がないのではなく。働く者、学ぶ者の意識が低くなったからである。

 勤労は、美徳である。勤労精神を養うのは、教育である。





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