落第をしなさいよ


 何を、それほど脅えているのか。何を、怖がり。それほど、何を、恐れる必要があるのか。落第しなさいよ。落第したって生きていける。落第することは、恥ではない。たまたま勉強にむいていないだけである。猫も杓子も学校へ、学校へと行く必要がない。

 先ず生きることを第一に考える事さ。生活力を身につけることを・・・。その為には、経済的に自立すること。手に職を付けることが早道。つまり、何らかの技術や資格を取ること。後は、経験を積んで。その上で徳を磨く。何らかのプロになれば、生きていくことはできる。反対に、学校を出ただけでは、プロにはなれない。むしろ一定の年齢までに、プロの道に入らないと、技術の習得には限界が生じる。簡単そうに見える仕事でも熟練が必要だ。逆に、誰にでもできる、熟練を必要としない仕事は、価値がない。年をとると若い人間には、かなわなくなる。つまり、熟練を必要としない仕事は、稼げるのは、若いうちだけなのである。
 プロになるならば、その道のプロに弟子入りすること。だから、昔は、勉強にむいていないとなると、一流の職人に弟子入りさせるか、老舗に丁稚奉公にだした。そこが、学校みたいなものだったのである。でも、今は、何でもかんでも学校である。学卒は、あぶれている。いい歳をしても職に就けずにいる者が沢山いる。それに対し、職人は、不足しているのである。しかも、一度、技術を身につければ、一生、喰うには困らない。
 本当に学を志すならば、先ず、経済的に自立する事を考えるべきなのだ。そうでなくても、先ず一人で生きていくことを目指す。自分の力で生活ができるようになってはじめて、一人前の社会人として認められる。いくら有名大学を出たところで、生活ができなければ、一人前の社会人としては認められない。皆が大学へ行けば行くほど、職人や、自営業者の価値は高まる。なのに、皆、大学を目指す。馬鹿げている。いっそ落第しなさいよ。そうすれば、吹っ切れる。

 立ち止まれないと思いこんではいないか。立ち止まって考えることも一つの選択肢だ。友達がいなくなるのが心配なのだろう。でも、その気になれば、友達はいくらでもできる。それで、友達でなくなる奴は、いざというときにあてにならない。友というのは、自分が悩んだり、迷ったり、困ったりした時に、自分を理解し、助けてくれる奴だ。友達がいなくなることよりも、いじめられて自信をなくしたり、劣等感に苦しめられる方がずっと悪い。真の友は残るさ。残らなければ、新しい友達を作ればいい。学生時代の成績が悪くても、成功した者は、沢山いる。それくらいなら、落第してしまいなさい。

 親だって解っていない。親達も、自分達の生き様に自信がないから、とりあえず、大学を卒業をさせれば、自分達の責任は、果たしたと納得できる。ある意味で安易なんだ。一緒になって人生いかに生きるべきかを考えるのがおっくうなんだ。それに、適切な助言をするためには、自分の生き方にたいして責任を持たなければならない。つまり、子供に対して助言できるような生き方をしていなければならない。それが大変なんだ。その点、他の親と同じように、しっかり、学校へやっていれば、とりあえず、責任というか、義務を果たしていると思える。安易なんだよ。

 立ち止まる事や脇道にそれることを恐れては駄目。今の学校で、疑問をもつのは、当たり前なんだ。まともに生きていく事、自分の将来の事を考えたら、迷うのは、当たり前だ。自分の人生なんだ。これでいいのかと思い悩むのなら、それでいて、社会に出る自信がないのならば、落第してしまいなさい。急ぐ必要も、焦る必要もない。大学へ行って悩むくらいなら、就職して悩むくらいなら、落第してしまいなさい。

 一年や二年、進学が遅れたところで、長い人生においては、大したことはない。でも学生生活の中では、そうもいかない。学年というのは、絶対的な価値観である。ある種の階級である。それが問題なのだ。差別の本質は、そこに内在化している。

 成長には、個人差がある。あることを三日で理解するものもいれば、半年かかるものもいる。三年かかるものもいる。しかし、本当に理解しているかどうかは、理解するまでの時間で推し量ることはできない。三年かかって理解した者の方が、後々、偉大な仕事をするかも知れないのである。ところが、偏差値というのは、そんなことを斟酌しない。

 学校だけが、全てではない。会社だけが全てではない。そう思いこむから逃げ場所がなくなるのだ。問題なのは、学校の競争や出世競争が、密室で行われていることである。学校というのは、閉ざされた社会なのである。学校から会社へ、結局、閉鎖的社会を渡り歩いているだけに過ぎない。それもこれも、腕に自信がないからである。学歴だけしかないからである。しかし、社会に出たら、学歴は役に立たない。
 会社が全てだと思うから、会社をかえって辞めるしかなくなる。一度、会社を辞めると辞め癖がつく。つまり、追いつめられてしまうのである。そして、一度辞めると、なかなかやり直しがきかなくなる。なぜならば、依るべき技術や経験、知識がないからである。残されているのは、人間関係だけ、人間関係に失敗するといられなくなってしまう。何もなくなってしまう。学校も、会社も、オール・オア・ナッシングの世界である。そのうえ、学校では人間関係を覚えられない。学校は、特殊な人間関係しかないからである。腕のいい大工や板前ならば、引く手あまたである。腕さえあれば、どこでも生きていける。なのに、勉強が嫌いなのに、学校に行く。落第しなさい。そうすれば楽になる。そして、別の道を捜すのだ。誇りを持って、自分の意志で自分の道を歩みだすのだ。おちこぼれたから行くのではない。自分が望んで行くのである。学校へ行って三流の生き方をするなら、一流の職人を目指しなさい。

 落第しては、駄目だ。落第する奴は、おちこぼれだ。人間失格だ。生きていけないと思うから、おかしくなる。皆が、皆、学校へ行くなら、あえて違う道を選んでもいい。その方が、生きやすい。確かに、プロのスポーツ選手になるのは、大変だ。それだけ需要がないからである。でも、大工や板前なら、需要はいくらでもある。皆が学校に行っている間に、修行をすれば、、それだけ早く差を付けることができる。




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