教育の理想を求めて
問題意識W
学問は、問題設定が主眼なのです。問題を自分で作成できれば、八、九割は、学問の目的は、成就します。
過去の偉人の多くは、問い掛けはしても答えは出していません。
今の学校は、予め、問題を設定し、最初から確定した答えをひたすら解かせる。これでは、教科書は聖書です。
ですから、生徒、学生は、先生の奴隷となる。先生以上にはなれないのです。
自分で問題を見出し、それを問題化する。そこにこそ、学問の本質があるのです。今の学校は、生徒をゾンビ化させているだけです。
問題をまず共有し、そのうえで、共同して答えを探す。それも答えは一つである必要はありません。一人ひとり違っていいのです。
好きになる人が一人ひとり違うように。結婚に対する考え方が一人ひとり違うように。人生いかに生きるべきか、その問い掛けが大切なので。答えは生きていく過程で出すしかないのです。
だから、今の学校に期待するのは愚かです。
今の学校に期待するのは愚かです。
答えは、一人ひとり違っていいのです。正解は一つではありません。
正解が決めらられているような学問には魂がありません。
死体をいじくりまわしているような学問です。生きた学問を求めるなら、先ず、足下の自分の問題意識を自覚すべきなのです。
経済は、屍ではなく、生き物です。
正直言って答えを求められてもこまるんですね。なぜなら、答えはわからないからです。
一緒に考えましょうというくらいで。
あなたの問いかけは鋭いですけど、結論は陳腐です。というよりなる。答えを急ぎすぎていますよ。だって人生にどれくらい答えがあります。いつ生まれて、誰を好きになり。どんな仕事し、どんな生き方をするか答えが一つ決まっていると思います。確かにそういう議論ありましたよ。でも、自分が知ることができなければ意味ないでしょ。
大切なのは問題設定なんですよ。仮説とは、問題設定を意味するんですからね。問題を共有し皆で解いていく。それが科学です。
するどい指摘だと思います。難しい問題なので僕も軽々にお答えできませんので、少し、時間をください。
ただ、次の二点は言えます。
まず、陰謀は、あると言えばありますし、ないと言えばない。陰謀であるかないかは、捉え方の違いです。
前提は、人の行為は作為的な事だと移転です。
国も企業も個人も自分の利益を最優先します。
ですからアメリカや中国が自分が優位に、有利になろうと考えれば、相手国から見れば陰謀となります。GAFAが自分の権益を伸ばそうとすれば必然的に他の勢力から見れば陰謀になります。自分の立ち位置を確認し、どの様な行為を陰謀とするかを明確にしないと陰謀の是非は論じられません。ただ、アメリカや中国が日本人を自分の思い通りに操ろうとしているのは、当然の事です。
もう一つは、今の経済は、わかっていない事をさもわかっているつもりになって政策を立てています。特に経済学はその傾向が強いです。
つまり、教科書的なのです。現代の学校制度は、正解のないのにあたかも正解があるかが如く錯覚させる事で成り立っています。そういう学校教育にならされた者は、一つの正解があるように錯覚をして、ひたすら問題を解こう、一つの解答を出そうとします。
しかし、経済に正解はないのです。正解のないのに、正解があるかが如く政策が採られているのです。要は、実験台にされているようなものだと思えばいいのです。
これは、忠告です。まず問題設定から始める事です。
きちんと問題設定をする。問題を作成する。本来、それが問題意識を形成するのです。また、学問は、問題設定の学問です。
問題がきちんとしていないのに、問題を解こうとしても、論理が続きません。問題そのものが不完全なのですし、偏りがあるのです。
先ず問題点を挙げ、問題点を整理し、自分は、何を問題としているのかを明らかにする必要があります。つまり、自分がどのような問題意識で、何を明らかとしようとしているのかです。
そして、現在、わかっているのは、明らかなのは何か。事実関係はどうなっているのか。何がわかっていなくて、何を知ろうとしているのか。どの様な前提条件に基づいているのか。事前に何を調べるべきか。そういう問題設計から入るべきです。
そうしないと短絡的に答えを出そうとします。問題設定さえしっかりしていれば、答えを出すのは焦らなくてもいいのです。なぜなら、答えは決まっていないからです。
ですから、僕も軽々に答えを出す事はできません。まず、問題意識を共有する事です。
なぜと問う。
でも、今、答えが出せますか。出す必要がありますか。
なぜと問うても答えは出ない。でも、なぜと問わずにはいられない。
答えが問題なのではなく。なぜと問うことが大切で必要なのだ。
答えは、人生の時々に出していくしかないし、これが絶対と言い切れることもない。時がたてば全ては変わっていくのだから。だから、解らなくなたらなぜと改めて問い、考えるしかない。懊悩するしかない。
それよりも、なぜと問わなければならない、状況や自分が問題なのだ。そこをよくよく見直す事が大切。答えは、その時々に出せる最善でしかない。だから、答えは幻に過ぎない。
問題設定そのものは、鋭く核心をついていますよ。そして仮説としては面白い。そこで、一度整理して問題設定する。設問をするんです。僕も、正直言てそうやて設問してから半世紀以上かかてやっと入り口にたどりつけたというのが本音ですね。
だから、あなたに教えるなんておこがましい。できたら一緒に切磋琢磨できたらうれしいというくらいですね。
答えなんて一生かかて探し求める。少しでも正解に近づけたら幸せですね。
直線的に答えを出そうとすると道に迷う事、壁にぶつかる事が多いですよ。
風が吹けば桶屋が儲かるという具合です。
するどい指摘です。ただ、先ず問題点を整理する事から着手した方がいいと思います。焦らないで。問題点を整理し、方向性を定め、着々と前進する事です。着眼点は、鋭いと思いますから。
それから、問題を設定する時は、とってつけたような結論は出さない事です。底が浅くなり、折角の洞察力が濁りますから。透徹した目を持つ事です。結論は焦らずともいいのです。
あなたには、志すところがあるはずです。それこそが、あなたを学にむかわせる原動力、原点だと思います。
まず、問題設定を確認されればいいですよ。
問題点というのは、その場で疑問符がついたことですね。その場で答えを出そうとせず、一旦、疑問符をつけたままで、整理します。その問題に関連したことを洗い出し、その時点で解っていることとわからない事を仕分けする。ここでもあまり無理をせず、あいまいなことは、一旦、解らないことの方に仕分けする。
そして、信用創造の自分の意見を仮説とする。
仮説に基づいてく目標をを設定する。
次に計画を立てるんです。必要な知識、情報をどのように収集し分析するか。簡単な結論を出すにも三か月ていどはかかると覚悟する事ですね。
志というのは、例えば、世のため人のために役立ちたいとか、真理を明らかにしたいとか、人を救いたいとか、国のために働きたいとか学びの動機ですね。
自分なりの問題設定が出来たら、もう、一人前の学徒です。師弟関係はなくなる。学徒として対等ですね。将棋指しは、勝負の世界では師弟も対等であるように。
だから、なんだかんだ言って問題提起をさせない。
問題設定できたとしてもすぐに答えが出るとはかぎらない。むしろ、大切なのは、答えを探究する年月ですね。
三日で出した答えは、三日で超えられる。一年で出した答えは、一年もかからず超えられる。後を追う者が時間を省略するのは、必然。
僕が五十年かけて出した答えも読む者は、半刻足らずで理解してしまうかもしれない。それでいいのです。そういうものです。
だから、答えを出す事を焦る必要はない。答えを出す過程でいろいろな事がわかってくるからです。
人生いかに生きるべきか。この設問に対する答えは出ないかもしれませんが、それを考える事でいろいろな事が見えてくるものですよ。
一日で俺の人生はこんなものと答えを出したら。それだけの人生しか送れないでしょ。大体、何も考えなくなる。
自分の目で見て。耳で聞き。自分の口で語り。自分の頭で考え。自分の足で立ち。自分の腕で掴み取る。
誰も助けてはくれないぞ。期待するだけ馬鹿を見る。
駄目な人間と自分が認めたら、皆納得してくれる。それで納得したら一生駄目な人間で終わる。何を甘ったれているんだ。皆が駄目な奴と言うなら、自分一人くらい認めてやれ。自信なんてあると言えばある。ないと思えばなくなる。それが自信だ。
教えてくれるなんて当てにするな。一番肝心な事は、掴み取るしかない。体得しなければならない。誰も教えるわけないし、教えられない。
泳ぎたければ、水の中に入って足掻くしかない。
諦めたら、それまで。七転び八起き。何度でも立ち上がって立ち向かえ。
夢中になってぶつかっている時は、恐怖など感じない。我に返った時、怖くなる。
ならば、ひたすら向かっていくしかないじゃないか。自分を卑下したところで、一文にもならない。傲慢になれ。謙虚になれる程、実績も上げてないし、歳もとってはいない。
もっと若々しく、猛々しく。
中途半端に傲慢だから虚勢でしかなくなる。突っ張るなら最後まで突っ張れ。それが人生さ。
問題意識は、最終的に自己に帰る。
何が、自分にとって問題なのか、何を自分にとって問題なのか、何を感じて問題としたのか。それは、自己に起源とするのか。
それが問題意識の原点なのである。
なぜ、学生が問題意識を持てないようにしたのか。それは、権威(学校)も権力(行政)も問題意識を持たれると困るからである。
チームを率いる時、一番、肝心なのは、問題意識の共有ですね。問題を解決しようとする過程で、活力が出てくる。
自分のない者は、無自覚に罪を犯す。なぜならは、自分がないからである。
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