教育の理想を求めて
清濁併せもつ
清濁併せもてというが余程気を付けなければならない。
清なる部分は、表で清算されるが、濁の部分は、大っぴらに清算する事は難しい。
結局、清なる部分は、清算されて濁のみが残る事になる。
汚い部分は、先送りされ歳月が立ってから清算する事になり、その時、割を食うのは、後始末をさせられた者たちである。
真の悪党が見逃されて、後始末したものが罰せられたら誰も責任が持てなくなる。
そんなことが繰り返されたら世の中の道徳がおかしくなる。
バブル崩壊後の日本がいい例である。
遊びがなくてはと言うのも、余り安易に使われると間違いを犯す。
遊ばなければと言われてまともに遊んで飲み打つ買うで身を亡ぼす人間を何人も見せられた。
罪な話である。
遊びと言うのは、心にゆとりを持つという事であり、仕事以外に何かよりどころを持てという事であって、それを真に受けて本当に遊んでしまったらとドロ沼に嵌るのが落ちである。
清濁併せもてというのは、物事には裏表があるから表面ばかり見ていたら思わぬ落とし穴にはまるという事で、汚い事をやれと言っているわけではない。ただ、裏や闇の事にも責任を持たされるという事である。
甘いという事もよく聞いた。お前の考え方は甘いとか、ただ、漠然と甘い、甘く見るからだという具合である。
漠然と甘いんだよと言われても言われた当人は困る。
どこがどう甘いかがわかれば改めようもあるが、ただ漠然と甘いと言われても、直しようがない。
ただ甘いという言葉だけが後味悪く残るだけである。
こういう言葉無責任である。使うべき時と場所、相手を間違うと凶器にすらなる。
しかし、甘いという言葉も的を射ればかなり有効である。
よくよく注意して使う事である。
それにあまりこういう言葉に踊らされるべきではない。現実の中で裏表も見なければならなくなるし、遊びも覚え、甘さからさも噛みしめる事になる。遅かれ早かれ。
言葉に囚われて頭で理解する様な事ではないし、危険な事である。
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