教育の理想を求めて

実務教育


実務と言うのは、言われたことを言われたように三回もやれば覚えられる。
しかし、聞かない、覚えようとしない、教わる気もない。だからいつまでたっても基本が身につかず。できたとしても我流、自己流。ただ気を付けなければならないのは、実務と言うのは、一般通念に基づかないと共有する事が難しい事だという点である。

次の打ち合わせの日を決めても当日まで何にもやっていないか、直前になってちょこちょこっとやっているのに過ぎない。それが当たり前、やっていないと思ってないといけない時代になってしまったんですね。
ほんとうに嫌いですよ、事前の支度とか、準備とか、用意、それに後片付け、後処理、後始末。言われなければ何もしないし、やったらやったでやりっぱなし。後始末に追われなければならなくなる。
実際、これが責任者の仕事なのかと泣きたくなる。
指示したところで聞いているようで聞いていないし、返事ばかりは、わかりましたと威勢がいい。
これでは、教えている側が萎えてしまうんですね。
朝礼でも話しましたが、僕らの時は、家の手伝いをさせられたが、今の子は、何でもかんでも親がやってくれると思っている。親を家政婦の様にこき使いそれでいてちょっとでも注意するとすぐにむくれる。これは、家庭ばかりでなく、職場も同様なんですね。

物事を教えるというのは、ものすごく精力のいる仕事なのです。
そういう事がわからない世の中にしてしまった。
教わってやってるんだという態度が見え見え。

段取りを決めて事前に関係者に了承をとっておかないと作業には入れない。
適時、経過報告、進捗状態を確認しないと全体の統制は取れなくなる。
リーダーは、そういう仕事を束ねるのが仕事。
自分さえ分かっていればいいという訳にはリーダーはいかない。
自分のやること以上に、組織全体の動きを見ていないとリーダーとしての責任は果たせない。
一人仕事とは違う。チームワークは連係プレー。
やる事は決まっていても実際に指示したり、実行するタイミングや順番が大切。
状況は絶え間なく変化している。
状況の変化に合わせて作業を組み替え絶え間なく指図する。それが監督の仕事。
試合で大切なのは、過程で会って結果は結果。結果は後からついてくる。
チームのメンバー全体に段取りを浸透させ、タイミングを見計るのが監督の仕事。だから、あまり自分が仕事を抱えすぎると全体が見えなくなる。
段取りは、とりあえず、方針だけでも先に決めておくのが鉄則。
なぜなら、内容はいつでも帰られるし、やってみないと解らない事が多い。それに対して段取りや手順には決まった形があって簡単には変えられない。
逆にいえば、段取り手順は、先に決められる。
それに、段取りや手順は事故に決めても意味がない。
段取りや手順さえ決めておけば、その手順や段取りに従ってやれば一定の期間で黙っていても結論が出せる。だから、段取りだけでも早めに決めておく。決めておいて支障が出たらその時変えればいい。
これが実務のイロハ。

実務を教えたくとも最初から拒否されたら教えようがない。
僕らの次の世代は、用意や準備、支度、そして、後片付けや後始末が嫌いですね。
教えようとするとものすごい抵抗をした。その結果、六十近くなっても仕事の段取りができない。
まあ、僕らの時も言われました。友達の母親が、料理が出てくるまで何もしない。
親がいないとずっと座って待っている。それでも来ないと親を探しにくるとこぼしていました。
自分では、料理ができないのに、文句ばかり言う。その癖自分からは、なにもしようとしない。じゃあ料理以外何か手伝ってと言っても、なんだかんだいって手伝おうともしない。
そもそも、自分が何かをしなければならないという発想すらない。ただ、座っていれば全て誰かがやってくれると思い込んでいる。そういう人間が増えている。

会議やイベントをやると決まったらさあ忙しくなるぞと声をかけたものです。
親父からは、話が決まってから仕事が始まるのだからな。決まったからと言って何も終わってはいないんだからねとくれぐれも注意された。

指導者の役割と言うのは、組織全体のベクトルを合わせる事なのです。

決められた事が問題なのではなくて決められた事をいかに全員に浸透させるかが問題なのだ。この点を間違ってはいけない。

会議は、討論の場ではない。意思決定の場であり、意思統一の場であり、指示伝達の場である。

役員会は、役員会に至る過程で、合意形成をし、承認を得るのが目的。役員会は、ゴールで会ってスタートラインではない。
役員会は、自分の意見を発表する場ではないのです。最初から文句あるか式に発言したらトップに喧嘩を売る事になります。それでは、賛成するにしても反対するにしてもトップは追いつめられてしまうし、間に立たされている者の立場も悪くなる。
要するに役員会と言うのは、役員会を準備する過程で、役員間の意思の疎通を図り、共通認識を作り出し、合意を形成する事で。役員会と言うのは、その為のイベント、セレモニー、通過点に過ぎないと思うのです。役員会が開かれるまでにすべての準備や合意はなされていなければならない。役員会は、最終的な確認と承認をすればいいだけの場でなければならないんです。役員会は、討論の場ではない。討論の場になったら収拾がつかなくなる。
だから、役員会を開くまでの過程が大切なので、役員会まで何もしないでいきなり結果だけを持ってこられたら、役員会そのものを無効にする以外になくなるのです。
この程度の常識も持ち合わせていないのが問題なのです。

結論が出たら終いではなくて仕事の始まりなのです。

だから、やる事が決まったら忙しくなる。やる事が決まってから仕事が始まる。
会議を開く日が決まったら、会議の準備にかからなければならない。
それなのに、会議や打ち合わせの非が決まったら、全てが終わったように思い込んでいる人が増えた。
本当に準備や支度が嫌いである。

今時の人は実務とか、事務と言うの勘違いしているのだと思うのですが、実務や事務と言うのは、いかにトップの思想や考え方を組織の隅々まで浸透させるかの問題であって、トップの考えや思想そのものではないんですよ。だから、トップが必ずしも実務や事務に堪能であるコツ様はないんです。
実務や事務に堪能である場合の方が組織の運用がしやすいという程度でして。でも優秀な補佐役がいれば十分ですよ。
その点が通じないんですね。実務屋がいないと仕事の整理がつかないという事はありますが。
ほんとうに実務のわかるものがいなくなったなと痛感しています。
この点も将来日本を機能不全におとしめますよ。


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