教育の理想を求めて
非常事態は、非常事態で
非常事態には、非常事態で。
なんだか当たり前のように聞こえるかもしれないが、非常事態だというのに平常時の理屈を持ち出しても仕方がないという事である。
非常事態なのに、相手に失礼だとか、迷惑がかかるなんて言っていられない。
逆に、迷惑だとか、失礼だなんて言ったら人格が疑われる。
非常時なのだから、いつもの考えだの日常的な常識など持ちだしても始まらない。
兎に角、冷静に狂えである。
今の日本人は、リスクに際して待ちしかない。とにかく様子を見てとか、情勢を判断しとか。
それに対して、我々は、非常時に際しては、間違ってもいいかに動けである。
待っていたら埒が明かない。
だから拙速と言うのである。非常時に要求されるのは速度である。
非常時には、非常になのである。
リスクに対する欧米人と日本人の温度差と言うか、捉え方の違いと言うか。
それを感じます。リスクと言うのは、日本人は危険性と考えますが、本当の意味は不確実性なんですね。百%起こる危機は、リスクではない。
僕が言っているのは、リスクなんです。欧米人は、リスク管理と言う観点から行動します。つまり、起こるかもしれない事象の不確かさですね。ところが日本人は、起きてもない事は、リスクではなくて妄想なのですね。だから、杞憂だとか、心配性だと言って退けるんです。つまり、リスクは忌事になってしまう。だから、リスクを語ってはいけないという雰囲気になる。これではリスク対策ができないなってしまいます。
現在は切迫した事態ではないが時間がたてば深刻になるのは、リスクなんです。
欧米人は、リスクに気が付けばリスクを回避するための行動を起こす。これがリスク管理なんです。だから、警報は、忌事や嫌がらせの類ではなく。義務なのであり、相手にとってはありがたい事なのです。
最初は事故でも放置すれば犯罪になる。これが欧米人の考え方ですね。
ところが日本人は、リスクは危機なんです。対処しようのない危機は、臭いものに蓋をしろ、見て見ぬ振りをしろ、見なかったことにしてしまおうとするのです。ですから、警報は迷惑なんです。
何でもかんでも迷惑なんですね。当惑と言うのも迷惑ですからね。だから、日本人は、馬鹿にされるのです。
僕の警報が伝わっていれば、彼等は、絶対に大事は起こせない。そう考えられないんですね。
相手に知られて事が大げさになると出世に係るみたいな発想をする。しかし、それ以前に深刻な問題を抱えていたらなら、その時点で希望は立たれるし、事を公にしなければ優遇処置はとられないのです。
それがどうしても理解できない。物事の順序がわからないんですね。
最近の日本人は、何でも時間が解決してくれると思っている節があります。
でも、何でも時間が解決するとは限りません。
かつては拙速と言う言葉がありました。今では、拙速と言う意味も失われつつあります。
ある人が欧米は、訴訟社会だから攻撃された時は、徹底的に守りに入り、こちらを斬ってくる可能性があると。
その人に、注意したのですが、前提が違いますと。第一に、大事に至っていない。要するに何も起こっていないという事です。ただ、放置すれば確実に事態が悪化し、危険性が高まるという点です。第二点は、元々相手は、この度のような事態を想定し、その対策のためにシステムを構築しているという点です。つまり、リスクを認識し、それを前提としているという事で、警告をありがたがりこそすれ、迷惑だと言って排除する根拠がないのです。
そこが日本人なのです。日本人は、警告そのものを迷惑とし、事を荒立てたり、公にしたらいけない、とにかく様子を見ようとなるのです。そして、様子を見てて大事が起こってから行動するから、欧米人は、なぜ、知っていて警告もせず、いまさら何を言うのかという事になるのです。危険を察知したらとにかく行動を起こす。非常のときには、非常の行動をとる。
事なかれ主義、日和見主義では、リスク管理の意味は到底理解できません。
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