教育の理想を求めて

植民地主義・奴隷主義


列強国の他国支配政策は、凄まじいものだと思う。
戦後教育の成果がしっかりと根付き奴隷根性が、日本人には滲みわたってしまった。
今の日本人の価値観は、かつての植民地、隷属国の人間の価値観である。

特に、儀式典礼、イベント、シンボルに対する軽視は心底日本人としての誇りを失わせてしまったと思う。
マキャベリズムにせよ、中国の兵法にせよ、占領した国の人間をいかに統治するかの術に長けている。
まず彼らが行うのは、歴史の書き換えである。
そして、風俗習慣を変える。
そして、その国の民衆の信仰の対象、先祖崇拝のわが国では、社稷の破壊。
権威の破壊。
象徴(シンボル)や祭礼の否定である。
つまり、儀式典礼を否定するのである。

つまり、価値観のよりどころ、自尊心やプライドを傷つけ、自律性や自主性を持たせないようにする。
一種の洗脳教育である。
教育と言うからには、価値観を植え付ける手段として教育を先ず抑える。

徹底的な自己否定をさせ、そこに自分たちの考えを刷り込むのである。

統制とか、規律とか、秩序を嫌わせ、組織的な行動が行えないようにする。
言葉が通じないわうにして互いの意思の疎通ができないようにする。

今の日本人は、世代間の意思の疎通が困難になってきた。同じ日本人なのに言葉遣いが違うのである。

儀式典礼を最も重んじるのは、民主主義者、自由主義者である。
その証拠に民主主義国である、アメリカや、フランス、イギリスは、儀式典礼やパレード、シンボルを重んじる。アメリカ人やカナダ人はの前で彼らの国旗を侮辱したらただではすまない。
場合によっては、外交問題にまで発展してしまう。

最もイベントやシンボルを封建的とか、軍国主義だとか侮るのは左翼系だが、社会主義や共産主義程シンボリックでイベントを重んじる思想はない。なぜならも、彼等は思想的で団結しか自分達を保てない事をよく知っているからである。

シンボルとかイベントが封建的なのでも軍国主義的なのでもない。封建主義者や軍国主義者がシンボルやイベントをうまく活用したのだ。

シンボルやイベントは、不合理でも非科学的な事でもない。
合理性は、論理のみにあるわけではなく。形式にもある。形式や映像、画像による方が意味を表現しやすい事もある。
だから、歌や演劇、映画などの芸術が尊ばれるのである。

シンボルやイベントを否定するのは、集団が組織的、統制的な動きができなくする為である。そして、主人の指示や命令に従順に従わさるためである。
どれは、皆一律同等でなければならない。奴隷に個性や意志、感情など必要としないのである。

教室から、権威が失われ、規律も秩序もなくなった。先生は、ただの労働者に過ぎない。
尊敬される対象ではない。侮蔑されても…。今の先生は、侮辱されても抵抗すら許されない。
そのような先生を見れば生徒も先生の様に誇りを失っていく。
その行きつく先は、奴隷に過ぎない。



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