教育の理想を求めて

報告していない事はやってない事


我々は、報告していない事はやっていない事と厳しく躾けられました。
ですから、やってあることを報告しないでいて、やってないと叱責された時、やってありますと言えば、なぜ、報告しないのか。報告していない事はやってない事だ。言い訳をするなとこっぴどく叱られました。
今の時代、聞かないのが悪いとする風潮がありますが、報告しない方が悪いというのが我々が躾けられた事です。

また、断片的に報告してもそれは報告した事になっていない。ただ、報告すればいいというのではなく。なぜなにを報告しなければならないかをあらかじめ整理してから報告しろともいわれてきました。
ですから、報告する際は、前後策を同時に報告できるようにしていなければ報告になっていないと叱られました。報告は、必要な要件、相手が聞きたいことを漏れなく、重複なく、全て満たしていて報告となる。自分の言いたいこと、伝えたいことだけを断片的に報告されても報告された方が迷惑になるだけだと教えられたものです。

報告したうえで今何をすべきかがわかるようにしろとも厳しく言われ続けました。
例えば打ち合わせの日が決まったら、打ち合わせを開けるように準備するのが仕事だぞ。仕事は結論が出て、決定が出終わるのではなく始まるのだと…。

指示を出さなければ決定した事は発効しない。つまり確定しないのである。
決めるという事の意味を今の子は理解していないためにこの点も話が通じない。組織においては、皆で話し合って決めましたという事は認められない。なんとなく漠然と皆で話し合った事が結論になるなんてことはあり得ない。なぜなら、決定権者、責任者が明らかでなければ指示する事も報告する事もできないからである。
責任者が皆で話し合って決めましたと報告する事は、自分の立場、役割を放棄する事を意味する。無責任極まりない。

同様に、今の子は何も教えてくれないと文句を言いますが、我々は、教えてもらおうとすること自体社会人として失格だと躾けられました。必要な事は、体得すべきであり、自分から学ぼうとしない者にいくら教えても無駄だ。学ぼうとしないお前が悪いとされました。

言外に教えたくても、教わりたくでも教えられない、教われない事がある。それは自分の力で学び取らなければならない。

子供の頃からこの様な事を親から躾けられることで、日本人は日本人になっていったのです。生まれた時に日本人なのではなく。親から基本的な価値観を植え付けられ、日本人として育てられたのです。

その文化を失った時、日本人は日本人でなくなるのだと思います。


いった事しかできない。


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