教育の理想を求めて
読めない、計算できない、描けない
我々は、読みと計算と絵が描けない奴は役に立たないと言われ続けましたが、後輩は、読めない、計算できない、描けないのが当たり前で、読み、計算、絵が描ける人は、天然記念物的ですね。
我々は、子供の頃からあらゆる局面で叩き込まれてきましたが、今は教えるのが至難の業ですね。
ともすると開き直ってこっちが怒鳴られる始末です。
我慢我慢で足元の組織づくり、地作りに専念しています。
作業を洗い出せない。筋を読めない。状況を読めない。情報を読めない。
だから、計算もできないし、絵を描くこともできない。
今の学校というのは、逆らう事、反対する事ばかりを教えているんですね。
目上の者に対する礼儀だとか、仲間、同僚に対する節度なんてまったく教えない。教えない処から頭から否定する。
素直じゃあないんですね。反権威反権力反体制ですから。
何でもかんでも疑ってかかれ、特に、常識を疑ってかかれとか。一+一は二ではないとか。そんな事、価値観が固まっていない人間に言ったところで、真意なんて伝わりませんよ。結局、先生の言う事も、上級生の言う事も、親の言う事も聞かない子供にしてしまう。気が付いた時には、手遅れなんですよね。
生意気なだけで、世間知らず、礼儀知らず、口の利き方も知らない、挨拶もできにい子にしてしまい。
挙句に人との付き合い方ができないから引きこもりにしてしまう。
だから、先生のいう事を聞かない、統制の取れない学級にしてしまい。
組織人や社会人の素養のない人間ばかり大量生産してしまうのです。
その癖、教師は自分たちの方に嵌めた教育をしようとする。
礼儀を躾けとかないで、礼儀知らずだもない者です。
それで苦しむのは、礼儀を知らない子供たちなのです。
日本がどんどん悪くなるのは、人としての基礎ができていない人間を増やしているからです。
チームワークというものが本質的にわかっていない人間が増殖しています。
物事の筋を読み、仕事段取りを組み立てるなんて経験的にまた組織の中で徒弟制度的に継承してきたのに、それをすべてぶち壊して中断されてしまいました。
僕らの頃は家でも親の手伝いを男は父親の娘は母親の家事の手伝いをしながら、家でも、社会でも躾けたものなにです。だから、不祥事があると親の顔が見たいと…。
今は、家庭とも社会とも仕事場とも遮断された教室で教育されるものだから何をどの様に教えられても文句が言えない。
本当に深刻だと思います。
我々以後の世代は、団塊の世代にこき使われ。いつまでも奴働きをさせられてきました。
自分で考えて決めるという事が出来ない。
決断して指示するというのは、実地に指導しなければ身に付きません。
指示、命令というのはやってみなければわかりません。
ところが、今の学校は、指示、命令すること自体を否定しています。
封建的で、権威主義的で、軍国主義的、独裁的、全体主義的だというのです。
しかし、彼等はそれは組織そのものを否定しているのだと自覚していません。
だから、団塊の世代以後育った者、団塊の世代に教育された子供たちは、命令したり、指示すること自体を罪悪だと考えるようになりました。
だから、指示・命令すること自体嫌悪する。
当然、指示・命令する事なんてできない。指示、命令を受け付けないのです。
社会主義国でも、民主主義国でも、自由主義国でも、組織のあるところ指示、命令はあります。なぜならば、組織は指示、命令で動くすくみだからです。そして、組織的でない社会は存在しません。存在できないからです。
ところが、指示、命令される事を嫌悪するように今の日本人は洗脳されてしまった。
それも学校においてです。
そうなると日本の社会も会社も組織のあるところは、土台から瓦解する。
それが真っ先に始まったのは、他でもない学校です。
学校は先生の権威が地に落ち、先生の指示。命令に誰も従わなくなった。その結果、先生や父兄が生徒に他の生徒の見ている前で、侮辱され、暴行されても抵抗する事さえ許されない。先生の人権なんてないに等しい。先生がそのように躾けたのだから自業自得と言えばそれまでである。
よくあるのは、指示せよと言ってもできないために、指示する事を躊躇い。下を向いたり、小さい声でつぶやいたり、変なところで抵抗したりすることである。
指示する者がちゃんと指示しなければ仕事は始まらない教え、指示すればいいところまで詰めるのですが、結局、指示できないか間違った指示をしてしまう。
上に立つ者の仕事は人に指示する事なのだから、どうするのと聞かれたらいつ、誰に何をどの様に指示するのかを聞かれているのに、自分の事ばかり応えてくるんですね。挙句に誰にも指示できない。困ったものです。
指示しなければならない者が自分で決断し指示しなければ、組織は動かなくなります。責任者が仕事を組み立てられなくなるからです。
だから、決定権者に決定させようと周囲の者はする。決定寸前のところまで持っていて決定権者の様子をうかがう。そこで決定できなければ、自分の考えは否決されたと思い。話の方向を変える。
いつまでも決められないと堂々巡りになる。こんな場面に遭遇する事が増えた。
最近、大手企業が不祥事を起こしたが発覚した後の記者会見に社長が謝罪する場面をよく見るようになった。最近は何でもかんでも社長が出て謝らないと気がすまなくなってきた。
その時、なんだか当事者意識のない社長が多くなってきた。自分の会社の事なのに、自分の部下が引き起こした不祥事なのに何か他人事のように話す。社長がこの調子だと部下も部下である。社長が改善命令を出したというのに、改善せずに罪を重ね、社長が出てきて自分の指示を聞いてくれないなどと嘆くことになる。
本当に戦後教育の恐ろしさが極まったという感じである。
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