教育の理想を求めて
何事も最初が肝心
多くの場合、部下や仲間がいう事を聞かないのは、逆らったり、さぼったり、無視しているというよりも、基本基礎ができていないから、何から始めたらいいかわからない上、自分たちが基本ができていない事を悟られまいとして誤魔化すからである。要するは逆らっているわけではなくて基本ができていないから、やりたくてもできないのである。
ただ、その場合、原因は当事者たちはわかっていない場合が多い。
それを勘違いしてこいつ俺に逆らっているとか、最悪、俺の事きらいなんだと思い込むと人間関係は拗れてしまう。解決できなくなる。
だから、先輩たちは知恵を出して礼儀・作法という形を作った。
これを無意味な事として壊したのが団塊の世代である。
皆がいいと言い。反対者もいない。納得もしているのに、誰も何も始めない。やらない。だから、結局、実現できないとしたら、大概は、どこから手を付けていいかわからない。何から始めたらいいかわからない。どうしたらいいか誰もわからないからである。
基本中の基本は突端の作業である。つまり始まりの形である。
それがわからない。わからないのにわかった振りをしてごまかす。
しかし、さあ、始めようとすると何から着手したらいいのか皆目わからない。
だから何も始まらない。始まらないから結果的に何もやらない。やってない。そうなると逆らっているとなるのである。
始まりの形に意味はない。
要はスイッチを入れる事である。
意味がないから機能する。スイッチを入れるのに、一々、主旨だの目的だのと言われたらたまらない。そんなことはスイッチを入れるだけならどうでもいい事である。ただスイッチを入れなければ何も始まらないだけである。
始まりの形なんて意味はない。ただ、けじめをつけるだけである。始まりを自分に皆に知らせるだけである。
審判がプレーボールと宣言しないと試合は始まらないというだけなのである。審判が宣言しなければ、プレーヤはいつ試合が始まったかがわからいというだけである。でもこれが試合をする場合重要な働きをしている。プレーボールという言葉がどんな意味があるなんて大した意味があるわけではない。
気を付けなければならないのは、審判が宣言する場所も動作も言葉もあらかじめ決めておかなければならない。
それだけである。公式戦はそういう決まりである。私事にも始まりの決まりを作る事である。
そうしないと始まらない。
発端がわからないという事が厭らしいのは、発端がわからないからといって才能がないとか、性格が悪いとかいうのではないということである。しかし、発端がわからなければ、仕事ができないわけだから、意味もなく逆らっているとか、できないのではないのかとか、性格がいこじなのではないのかと能力や性格、挙句は、人格にまで及んでしまう事である。
チームワークは、チームワークなのだから、チームの全員がわかる位置に立ってわかるように元気に宣言をする。それがチームリーダーの役割である。
相手言っている事は理解できる。意味も分かる。納得もしている。
でも何から始めたらいいかわからない。
こういうことが一番厄介な事である。
しかも、指示を出した側も何から始めたらいいかわかっていない場合が多いから始末が悪い。
なぜ始末が悪いかというと指示した側もされた側も自分が何から始めたかわからない事を相手に悟られたくないと思うからである。
わからなければ単純に聞けばいい。しかし、聞くと自分のが簡単な事も理解していない事がばれる。
なぜなら、始めにやる事なんて難しい事ではない。誰にでもできる簡単な事でなければならない。できる事がやればいい。その時にできる事をできる範囲でやればいい。
だから、我々は、常に始めはできる範囲でやれと教えられてきた。
ところが大概難しく考えて、できない事から始めようとする。それで、すぐに諦めてしまう。
最初から無理だとなる。それで黙って何もしないでいる。そうなるとできる事もできなくなる。
期日があれば直前になって始めようとする。今度は自分が怠慢だったことが言えない。言えないから他人に性にしたり、できない理由、やらなかった理由を上げ始める。つまりは言い訳である。そうなると仕事の大半が言い訳で埋まってしまう。
我々は、できない理由、やらない理由は言うな。事実だけを言え。やってないんならやってない、できてないならできてないという事だけを言え。それ以外は言い訳であり、口答えである。余計な事だ。余計な事は言うな。できない理由、やらない理由は聞かれた時だけ答えればいいと躾けられた。
上司にとって必要なのは、やってない、できていないという事実だけであり、その事実に基づいてどの様に対応するかだけである。
何から始めるかなんて本来たいした事ではない。わからなければわかる人間に聞けが第一原則である。
聞き返されると今度は聞かれた側が誤魔化そうとする。指示した者が何から始めさせたらいいかわからないなんて往々にある。しかし、指示した手前、部下に自分が何から始めたらいいかわかっていないんて言えない。そんな事ぐらい自分で考えろ突き放す。
こうなるといつまでたっても結論も結果も出ない。でないから上司は怒る。部下は、明確な指示が出たわけではないから釈然としない。
それで人間関係がこじれる。
職場の人間関係なんて仕事が円滑に流れているうちは、拗れる事はあまりない。上司の性格が悪いと、嫌いだという事が決定的に成るのは稀である。それよりも、好人物で相性がいい人でもきちんと指示・命令を出してくれない上司の方が人間関係はこじれやすい。
かえっていい人だと原因を他に探すから質が悪くなる。
問題はモヤモヤとして気持ちを持ち続けて仕事をやらされることに耐えられなくなるのだ。
指示した者がわからなければ、指示した相手、つまり、担当者、部下に聞け。
大体、具体的な指示、何をいつまでにしたらいいのかを示せない上司というのは、上司そのものが何をしていいのなわかっていない場合が多い。何をしていいかわからないのに、仕事の意義や主旨、目的をながなが講釈されても部下は辟易するだけである。
手始めに何をしたらいいのかわからないような上司がいて質問しても要領を得ない返事しかしなければ、この人はわかっていないと解釈して頭を切り替えなければいけない。そのうえでわかっている人に聞くのである。
指示した側も何をしたらいいかわからなければ、担当者に率直に聞けばいい。どうしたらいいと思うと。大体、やる事、作業、段取りは担当者に聞け、現場の事は現場に聞けが大原則である。要は、やる事を明確にしてやればいい。やる事を明確にすればいいただそれだけである。
また、やる事は、当座の作業に絞る事である。三つも四つも先の事を言われても実際にやる人間は混乱するだけである。実際にやろうとする者は、今自分が何をしたらいいのかがわかればいいのである。
兎に角、突端の形を自分なりに作る事である。指示を受けたら、指示された内容を紙に書くなり、復唱するなりして確認し、自分がやるべき事をその七から抜き出し、速やかに作業に着手する。速やかに作業に着手できない場合は、指示、命令に要件を満たしていないところがありか不備なところがある場合が多いのだから、それを指示者に聞いて補うか、確認するかして指示、命令を確認する。
その上で指示・命令に従えない部分があればそれは違う次元の問題である。
確かに、警察や消防、軍隊、医師など生命財産に係る仕事をしている場合、容易に従えない場合も生じる。しかし、それは通常、日常的業務とは次元を異にする問題である。
できない理由、やらない理由を考えても意味がない。指示されたら、指示されたことを実現することに意識を集中させるべきなのである。そのうえで明らかに不可能な指示・命令は、断るべきなのである。ただ正当な理由なくして指示命令を拒む理屈はない。
やれと言われればやるだけである。やる事を考えるべきなのである。
部下が仕事をしない理由なんてたいそうな理由なんてないんだよ。つまらない事で躓いたり、こだわったりしていてやらないのが関の山だ。
天下国家だとか、生きるの死ぬのだとの、大義がどうたらこうたらとか、滑ったの転んだの言った大層な問題ではない。些細でつまらない事だから言い訳もできないし、説明もできない。
それも意味のない事なのである。
部下が結果は出せない時は、足下の作業を丁寧に見てやれと教えられたものである。
皆、どうでもいい事で悩んでいるんである。どうでもいい事だから深刻な事に気が付いていない。どうでもいい事だから、他人に相談もできず、他人に知られたくもない。
どうでもいい事だから馬鹿にして安易に考えている。
しかし、どうでもいい事こそ大切であり、丹念に根気よく片付けていかないと人間関係を根底から破壊してしまうのである。
仕事は、最初のセッティングで決まる。最初に筋道をつけてそれに沿って話を進めるのである。
地図もないままに、コースを確認しないで冬山に登れば死にに行くようなものである。
遭難は免れない。
打ち合わせが終わったら、指示・命令を受けたら、直後に、何から始めるべきなのか。
その前に言っておかなければならないのは、指示・命令、打ち合わせが終わった直後にしか原則的に打ち合わせの結論や、指示・命令の確認はできない。
指示、命令に対する確認は、指示、命令が出された直後しか原則できない。
例えば、レストランで注文を受けた時直後でない時に確認をとればお客に不快感を持たせるし、度々、確認すれば終いにはお客は怒って帰ってしまう。
なかなか注文したものが出てこないので、確認したら、忘れていたとか、注文ミスをしていた。確認もしないで曖昧なままに料理を出して間違ったりしたら、お店は損害を受けるどころか信用を失う。
注文を受けた時の確認項目。
目的。まず目的を明らかにする。
期限。次にいつまでに・何をしなければならないかを決める。
規模。そして、どの程度の規模なのか、仕事の範囲などを特定する。仕事の規模とは、打ち合わせや会議の回数。打ち合わせの時間。打ち合わせの対象人数。そして、責任者の格や権限。担当者を責任者と相談のうえ決める。
そして、次回の予定(正式な打ち合わせをいつするか)を決めるのである。
次回の責任者・担当者を指名する。
仮に不明な点があれば、不明な事をいつ、誰が、どの様にするかを決める。
例えば、場所がハッキリとしなくて、その場では決められなければ、いつ場所を決めるのかを明らかにすればいいのである。
言われたことを言われたとおりするというのは難しい。ちょっとずつどうでもいいところを変えたがる。しかし、それを許すといつの間にか全然違う事をやっている。
言われたことを言われたとおりにやりさえすればいいのだが、どういう訳かほんの少し変えようとする。しかも頑固なのである。
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