教育の理想を求めて
人工知能について
人工知能を魔物か化け物か、悪魔の如く恐れている人がいる。
立て続けにチェスや囲碁、将棋が人工知能に敗れてからことさら増えている気がする。
しかし、人工知能を怖れるのはお門違いである。
人工知能を怖れるのは、自分の影を怖れているようなものである。
人工知能は、人口の知能である。神が創造した物ではなく。人が作り出し物である。
人は神にはなれないし、人が神になれないように人工知能も神にはなれない。
人工知能を神の如く恐れるのは、人間の傲慢さがなせる業である。
所詮、人工知能も人が作り出したものに過ぎないのである。
機械は、人を苦役から解放するために作られた。機械化は、人を幸せにするために、進められるべきなのに機械化、合理化は、雇用を喪失するというのでは、本末転倒である。
何かが間違っているのである。
誰のために、何のために機械化するのか、それをキチンと最初から明確にしておかないからあとで困る事になるのである。
それは機械の問題ではなく。経済の問題であり、経済体制の問題である。
チェスや囲碁、将棋に名人、達人が敗れたからどうだというのか。
人と機械がさす将棋と人と人とが指す将棋とでは本質が違う。
相撲取りが戦車と戦って負けたからと言って大騒ぎするであろうか。
機械化にせよ、人工知能にせよ、まず機械や人口知能との住み分けをハッキリさせておく事なのである。機械に任せる部分と人がやるべき部分。接客やサービスといった部分をコストダウンというだけの理由で機械に任せる必要があるだろうか。では、それを企業に任せているだけで区分けができるであろうか。
人がやるべき部分、機械や人工知能に任せる部分を明確にし、人が働けれ環境や条件を整えない限り、機械や人工知能は本来の働きをする事が出来ない。
人工知能を怖れる以前に、人間は、自分たちの作り出した破滅的兵器を怖れるべきなのである。
そして、それを制御する技術や仕組みを構築しない限り人類は、自らの手で破滅的状況に追いやられてしまう運命にある。しかし、それは自業自得な事であって、決して機械や人工知能が悪いわけではない。
だから、人工知能を怖れるのは、自分の影を怖れているのに変わりないのである。
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