教育の理想を求めて
戦争について
平和は尊い。
戦争は嫌だ。でも平和というのは、ただ、望んでいるだけでは、実現できない。
戦争という現実から目を背けたら平和は実現できないし、たとえ実現したとしても守れない。
大体戦争は嫌だというけれど、テレビや映画、マンガ、ゲームなんて戦争物ばかりではないか。
戦争物といったって戦争の悲惨さや残酷さを訴えたものばかりではない。
戦争が起こった原因、経緯、歴史を学ばなければ、戦争を防ぐことはできない。
戦争というのは、戦争になると予測するだけでは意味がない。
大体、戦争なんて、戦争になると言っておけばいつかは当たるものである。
それは、人間は、死ぬとか。不景気になると予測する事と大して変わらない。
戦争を予測する以前に、戦争を是とするか、非とするかを明確にすることである。
戦争を非だとしても、じゃあ感情的に戦争反対を叫んで暴れれば戦争がなくなると思うのは、短絡的すぎる。ただ、戦争反対するだけでは、ヒットラーのような独裁者を図に乗らせ戦争を誘発する事さえある。
戦争を本当に防ぎたければ、戦争を引き起こす、メカニズム、仕組みを明らかにしてそれを変える以外にないのである。
第二次大戦後、戦争に巻き込まれた事のない稀有な存在である日本人は、戦争を非日常的な事のように思いこんでいるが。
戦争は、日常的な出来事なのである。
戦争が絶えたことなどない。常に、世界のどこかで戦いがあった。
お人好し日本人の中には、平和を願えば、平和はかなうと本気で思っている人がいる。
それは、宗教的心情としては理解できるが、現実的ではない。理想論でもない。単なる妄想である。
平和を願う事が悪いというのではない。ただ、平和を願っていれば平和になるんだという勝手な思い込みだけは、百害あるだけである。
戦争になると予測するならば、その前提となる条件を明らかにし、現状を知る必要がある。
その上で、戦争を引き起こすと予測に足る根拠、メカニズムを明らかにし、それを変える以外にないのである。
戦後、日本は軍備を持たなかったから平和だったというのは詭弁以外の何物でもない。それは現実を見ていないのか。あるいは逃避しているのかのいずれかである。
戦争が現実なら平和も現実である。
平和が現実なら戦争も現実である。
平和の中にも戦いがあり、戦争の中にも人々の営みがある。
平和を守る事も戦いなのである。
どんな時、どんな状況でも生きる事、生き抜く事こそ真実のである。
戦争によって犠牲になるのはいつの世でも弱者である。
人々の生活を守れなければ何を言っても無駄である。
誰も守ろうとしない国は守り切れない。
戦争は、嫌だ、嫌いだ、反対だという思いと、戦争という現実をはき違えた報道が多すぎます。それは、病気は嫌だ、嫌いだと思えば病気にならないと思い込んでいるのと同じ事です。また、医者がいるから病気になるというのと同じくらい愚かな事です。病気は、嫌だ、嫌いだ、なりたくないといくら思っても、病気になる時は病気になるのだし、医者がいるから病気になるわけでもないのです。
井沢元彦が日本人は言霊に囚われると言っていますが、その典型ですね。戦争は嫌だ、嫌いだ、反対だといくら言っても戦争はなくならないし、平和にもならない。
日本人は、戦争とか、軍隊という言葉を忌言葉にして避けていますが、それはかえって戦争を招き寄せる事にもなりますし、戦争の惨禍に備える事もできなくなります。
日本が侵略された時、国はどういう行動を知るべきか平時に議論できないようではいざという時に何もできなくなるのです。
願望と現実との境を理解できないのは、一種の精神異常です。
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