教育の理想を求めて

任せるという事



若い者に任せて、お金のことも含めて、何も口出しをしなかったらうまくいったとか、下に任せなければ駄目だよという人がいる。
任せるという事の意味を解らずに、それを真に受けて、若手や下に任せると大変な事になる。

とかく、何も任せないか、任せるとなると丸投げをして、オール・オア・ナッシングになりがちである。

任せてうまくいくというのは、任せるという意味を正しく知っているからである。
つまり、何をまかせて良くて、何を任せてはいけないかを理解していなければ、実際に任せた事にはならない。

若い人間に任せるという事を新しい事のように考えている人を見受けるが、若手に任せるという考え方は、目新しい事ではない。昔から言われている事である。

特に、日本人には、この考え方が強い。例えば、日露戦争の時に、大山巌は作戦指揮をすべて参謀に任せて何もしなかったみたいな。しかし、これは史実とは違う。指揮官が何もしなければ組織は動かないのである。
日本人は、とかく上の者は口出さずに下の者に任せればいいのだという思想が昔から牢固としてある。そして、それが日本の組織ので宿痾もある。

実際に大山巌がすべてを任せたのか。そんなことはあり得ないのである。むしろ指導者がしっかりと仕事をしたから当時の組織は統制が取れたのである。

若手に任せてうまくいくためには、いくつかの前提がある。
例えば、お膳立てが上手くいった場合、ベテランがしっかりしていて指導体制や後処理になってくれた場合、リーダーシップをとれるものが実施チームにいた場合、指導体制がしっかりとしている場合、躾がちゃんとされていた場合、同じ場所に集まっていた場合、外部や提携相手がしっかりマネージメントしてくれた場合などである。
多くの場合、上手くいったという結果だけ見てプロセスを見ていない。

大体、若手に任せてうまくいったという人の多くは、実体を知ってて言っているのか、実体を知らずに言っているのかのいずれかであるが、知ってて言っている場合でも実際の仕事に携わっていない場合が多い。
つまり、影働きをした人間がいずれにしてもいるのである。その点を理解しないと影働きをした者が報われないし、また、総てを任せればうまくいくと言った深刻な錯覚を引き起こす危険性がある。
知っている人は、肝心な事は、教えてくれない者である。そして、結果だけを誇張して伝える。
影働きをした者や影働きをするものは、自分が表に立とうとはしない。

まず若い者とか、下のものというのは誰を指すのか。それが一番肝心なのである。そして、どの様な体制を敷いたか。若いと言っても実際に若いというのは、任せた者の主観による。四十代を若いというのは、三十代を言うのか、二十代を言うのか。十代を言うのか。
昔、年寄りは、五十、六十も洟垂れ小僧なんて嘯いていた者もいるのである。

肝心なのは、何を任せて、何を任せられないのかである。
伝統のある企業には、指導体制がしっかりしていた。しかし、この指導体制が崩れると途端に若手に任せろとか、したら任せろという事が言われ始めるのである。

昔、アパッチ砦という映画があった。そこでは、士官学校での若手将校が新兵訓練をするがうまくいかずに、見かねた下士官が変わって新兵訓練をするシーンがあったが、どこの国でも似たような事があると感心した。
実地訓練は、言葉で伝えられないところがある。いくら士官学校で正規の教育を受けてきたからと言ってポッと出の若手では無理である。そういうところは、経験豊富なベテランに任せた方がいい。そこは下に任せた方がいいのである。

自分も学生時代、仲間を集めていろいろな事をした。当時は学園紛争が終焉し、大学全体に倦怠感が漂っていたし、過激派もまだいた。
当時は、七十人の級友がいたがその内、一年間で五十人近くに幹事をさせた。その結果、最期には何も言わなくても人が動くようになった。

そういうのはマネージメントとの話であり、闇雲に何でもかんでも任せればいいというのではない。

任せたとし言っても若手だけでは要領は得ないし、また、権限のない者が勝手に指示を出すわけにはいかない。了解もなしに、目上の者を指導するわけにはいかない。お金だって勝手に使っていいという訳ではない。手続きがある。人を集めるにしても自分の上長の許可なく勝手に集めるわけにはいかない。組織には、規則があり、手続きが必要なのである。そういう煩雑な部分を引き受けてやるから、円滑にできる。
実際にやる事に対しては、口出しもせず、決めた事も尊重するのは良いが、実際に指示をしたり、手続きをしたり、後処理をしてやらなければ組織は動かないのである。

任せたと言って何もしないのはかえって嫌がらせになる。任せて責任だけを持つというが、責任を持つというのは、後を任せろと言う意味がある。
だから、若手に任せてうまくいったという人は、後をとったのか、だれか後をとった人間を付けたか、自分は何も携わらずに影働きをした人間がいた事を理解していないのかである。

本当によく理解している人は、実際的な事を任せて黒子に徹するものであり、そういう人は、最期まで表に出ようとはしない。そういう者を正しく評価せずに、理解してやらなければ、そういう者は腐り、やがていなくなる。そして、任せればいいという事だけが独り歩きして組織が制御できなくなるのである。


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