教育の理想を求めて
形而上学
形而上というのは、物の形相の背後にある実在、例えば、人とか家という形として表された事の本源にある存在。物自体を言う。本源的存在とは完全なる存在、理想的存在、純粋な存在、本質である。理想的な人、完全なる家があってそこから人としての実体、家としての実体が派生する。突き詰めると完全なる善になる。問題は、その完全なる善を人間か直接認識できない事なのである。
それはカントの言う先験的な存在は成立している。
ユークリッドは、面のない点、幅のない線、厚みの内面を想定して「幾何原論」を組み立てた。
また、それが一神教からすると神の実在を言う。
それに対して、アリストテレスは、本源的な存在などなく、形相こそ実体だとする立場をとる。
これは、現代物理学にまで続く論争である。
自分が大学時代の担任が君はプラトニアンか、アリストテリアンかと聞かれた時はびっくりした。後に物理学会の会長をされた方だが、哲学的基礎素養をしっかり持っていらっしゃた。
確かに、哲学は真理や存在を扱う学問である。
しかし、哲学は、このような存在や真理、真実という事だけでなく。より俗っぽい、人間臭い生活実態の中にも存在する。
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