教育の理想を求めて
マネージメントは、大工のような事
マネージメントというのは、大工仕事によく似ている。
事業というのは、家を建てるような事なのである。
家が設計図によって建てられるように、事業にも計画が必要なのである。
事業全体は、いくつかの部品によって構成されている。
そして、個々の部品には規格があり、構造がある。
この様な部品を計画に基づいて手順に従って組み立てていくのである。
ところが今日、この様な基本が守られていない例が増えている。
図面も、設計図もないままに、経験だけでマネージメントをしたり、個々の部品をいい加減にしたり、部品と部品とをしっかりと接合しておかなかったり、基礎土台を固めないうちに上物を建てたりして、後々厄介な問題を引き起こしているのである。
しかも、問題の原因が正しく理解されていない。本来は、設計や施工に問題があるのに、住み手や使い手の責任にされたりしている場合が多々見られる。またあるいは、設計に問題はなくても手順や段取りが間違っているのに、設計が悪いとされたりしている。
しかも、事業計画や組織というのは、家の様に目に見えるわけではない。計画や組織は観念の所産なのである。目に見えない事だから、それを集団で共有することはたやすい事ではないのである。
わかったつもり、見えるつもりで仕事をしたらたちまちに全体像を見失い。自分が何をどこを作っているのかもわからなくなるのである。
そのような意味では大工仕事より、余程難しい。
常に全体像を意識しながら、部分を組み立てていかなければならないからである。
大工が部品を順序よく組み立てるように、事業も部分を順番に組み立てていく必要がある。
マネージメントが大工に似ている証拠に大工用語がマネージメント上よく出てくる。例えば、段取り、枠組み、差配などである。
もう一つ大事なのは、形である。マネージメントの要諦は、形を重んじる事である。
インテリと称する者の悪癖は言葉を重んじて形を軽んじる事である。
これは軍でも同じである。特に日本人は、作戦ばかり重んじて、情報とか、兵站、後方支援といった形あることを軽んじる傾向がある。それが事業全体を破綻させてしまうのである。
事業場の形は、イベント、式典、会議、儀礼、制服、旗や襟章のような象徴等を言う。
個々の部分を構成する要件とは、日時、場所といった外形的部分と部分の働きを制御する部分からなる。
また、個々の部分は、共通、共有部分と固有の部分からなる。
個々の部分の基礎は、外部と接続し、全体の働きと部分の働きを調節する部分と内部の働きを制御する部分からなる。
会議・打ち合わせでいうと、外形的な部分が日時、場所、会議の目的、主催者、事務局で、内部の要素は、議長、書記、内的働きを制御するのが前回の確認、今回の結論、次回の予定を定め、それに則って次回までに用意する事、次回までにやってくる事でまとめる。
これが一つの形である。
報告は、かえってすぐに口頭にて報告し、打ち合わせの予定を決めて、その後、文書にて報告、打ち合わせ時に提出文書を基にして以後の段取り、手配を決める。これが形である。
起点と終点を定め。その起点と終点の間を単位区間とし、その間に作業を組み込む。
一つの区間の流れとしては、二つのイベントを結びつけるように作業を組む。一つのイベントの前後に打ち合わせを常に設定しておく。
会議であるならば、会議と会議をつなぐのは、前回の確認と次回の予定である。前回の確認の中には、経過報告も含まれる。
この様にして個々の部品を組み込んでいくのである。
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