教育の理想を求めて
なぜ、歴史を学ぶのか。
元々、学問というのは、自分の人格の陶冶が目的だった。
中国では、学問の基礎は、経、子、史、集の四つからなり、史、すなわち、歴史は、その一角を占めていた。
歴史を学ぶのは人生、生き方を学ぶことである。
歴史を学ぶのは、大元にある考えや議論が今の状態に重要な影響を与えているからである。
その事を今の学校教育は教えようとしない。
だから、今は今でしかないのである。
歴史というと世界史とか、日本史、西洋史といった一定の地域の時間的経緯やアメリカ史、中国史、フランス史といった特定の国の生い立ちなどを思い浮かべるが、歴史は、どんなことにもある。
例えば、科学史とか、数学史、産業の歴史、人物の歴史等である。
そういえば以前、人に歴史ありというテレビ番組があった記憶がある。
科学にせよ、数学にせよ、今の時点で完結をしているわけではない。
この点が肝心なのである。
どの様な問題意識によって、どの様な考え思想に基づき、どの様な議論が繰り返されてきた。
それを知る事は、学問の本質を明らかにすることに通じている。
ところが現在の学校教育は、現在を絶対化し、普遍化し、今の状態を所与の事、自明な結論として子供に教え込んでいる。
確かに、そうしなければ、試験をするための根拠を失う。
今を知りうることを真実として前提としない限り、正解は確定できないからである。
しかし、学問上の真実は、常に変化している。もともと、科学は、相対性を前提にして成り立っており、変化を受け入れ所与の事として成り立っているからである。
だとしたら、学問の本質を学校では教えていない。教えられないという事になる。
だから歴史を教える事が重要なのである。
歴史を学ぶのは、過程を学ぶことである。
我々は、今を前提として考える癖がある。
例えば数学である。学校で、数学を学ぶ時、自然数、実数、整数、有理数、無理数という順に習う。しかし、実際に比較的新しい概念として、ゼロと負の概念がある。
それに対して無理数は、ギリシア時代には発見されていた。
この様な数が確立される経過を学ぶことは、数に隠された概念を読み取るうえで重要な役割を果たしている。
歴史的に見て負の数をなかなか認める事が出来なかった。それは、数学において大論争を巻き起こしている。そして、それは、数の概念において重要な論争なのである。
なぜ、負の数が認められなかったかというとその背景には、現実の社会の要請があったからである。
そこには、純粋の学問としての数の概念と社会的に有用な数の概念との乖離があったからである。
それ故に、現在でも貨幣価値は自然数である事を前提としている。この事を理解しないと貨幣価値の働きは理解できない。
産業にも歴史がある。仕事にも歴史がある。市場にも歴史がある。そういった歴史を無視して経済を理解する事はできない。
仕事をするうえでも、事情や背景がわからなければ対処のしようがない。
事情や背景を知るというのは、現状はどうなっているのか、そして、現在の至る経緯や経過を明らかにすることである。
これは、その仕事の歴史を知る事である。
現代は、過去につながり、過去は今の前提となるからである。
歴史問題が問われるのも経緯や経過を知らないと正当性が証明できないとされるからである。
その意味で日本は、歴史が中断されている。
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