教育の理想を求めて

管理はプロセス


仕事とは、プロセスを共有する事を意味する。
ところがこのプロセスを共有するという事ができない管理者が増えている。
この様な管理者は、過程を無視して結果ばかりを求める。
だから、部下は何から始めていいのか、足下が見えなくなって迷うのである。
遠い目標はよく見えるが、目先の目標は見えなくなることが多い。

管理というのは、このプロセスを制御する事を目的としている。

プロセスを制御する為の要点は、事前にある。事後にやれる事には限界がある。
ところが多くの人は、事後に管理をしようとする。そこに無理がある。
事前に確認をしておくか、事後に確認するか。
先に言っておくか後でいうかだけでも違いがある。
事前で確認せずに終わってから報告されても打つ手はないのである。

だからこそプロセスを管理するためには、最初が肝心なのである。

プロセスには始まりと終わりがあり、その始まりと終わりの間に仕事が隠されているのである。始まりは起点であり、終わりは終点である。
仕事を管理するためには、起点と終点を明らかにする必要がある。

管理が仕事のプロセスを制御する事であるならば、仕事を管理するためには、最初に、構想を立て、構想に基づいて計画を立て、計画によって組織化し、日程に落とす必要がある。

実際の作業を起点とした場合、これらは予め用意しておかなければならない事だから、予定、予算というのである。

この真っ先にやらなければならない事ができない。一番最初に、設定しておかなければならない事ができないから、仕事が正式に始まらない。

誰かの頭の中にできていてそれをその時その時引き出していかなければならなくなり、仕事を管理する事が不可能な状態に陥るのである。

この様な最初の初動は、一定の形、ある種の儀式、慣習にしておく必要がある。

何事も初動が大切である。初動で大切なのは、形であって理屈ではない。
スイッチに入れること自体に意味があるわけではない。スイッチを入れるのは操作であって理屈ではないからである。スイッチを入れる動作は形である。

始まりには理屈はない。
なぜならば、最初の儀式は意味がないからである。
始まりは理屈ではない。だから始まりに理屈はない。
始まりは、宣言であり、象徴である。

何よりも一点から始めなければならないのである。

会議も試合も宣言に始まり、宣言で終わる。

管理されることを干渉される事と錯覚している傾向がある。
そして、現在の学校は管理を極端に嫌う。
学校の先生自体が自分たちが管理されることさえを嫌っている。

教育は管理の手段である。

子供たちの教育は、先生が自分の思想で勝手にしていい事ではない。

教育とはある意味で管理である。しかし、今の学校は、管理を嫌う。
学校というより先生の組合が管理を嫌う。
元々共産主義の本質は全体主義である。
全体主義は管理を重んじる。
だから、管理を否定するというのは一見おかしく感じる。
しかし、それを裏返してみると、組合は管理を重んじているから、敵対している側が管理を軽んじるように仕向けているのである。
そうしてみると教育で重要なのは管理の仕方である。

管理の仕方はプロセスをどのように見るかである。

子供たちは管理を干渉だとはき違えている傾向がある。

大体、思春期を過ぎたころの子は、干渉を嫌う。
そのために、自分をあからさまにするという事ができないというより避けようとする。
しかし、それではチームの一員として行動する事はできない。

社会に出れば、管理を嫌う傾向は薄らぐ。なぜなら、管理を嫌っていたら、組織的な仕事ができなくなるからである。
仕事も教育も管理である。

忘れてはならないのは、管理の根幹は、事後ではなく、事前にあるという事である。
事前に何の報告もなく、承認もなくやった事、やった事、起こした事に責任をとれと言われても責任の取りようがないのである。
むろん、企業としての社会的責任、道義的責任というのは免れないとしても、本質的に事前に察知できない、予測できない事は管理できないのである。
逆に予測できることは可能な限りすべて事前に何らかの準備を怠ってはならない事を意味している。
ただ、管理の根幹は事後にあるのではなく。事前にあるのだという事を忘れてはならない。
何かが起きてから、また、起こしてしまってからでは遅いという事である。
起きる前、起こす前に何らかの対策や仕組みを作るのが管理であり、管理のしっかりしている組織は、問題が未然に防がれている。それがかえって管理不要論を生むのは、皮肉な事である。




基本について
執務要領
報告・連絡・相談
手順・段取り
形を重んじる
仕事を学ぶ
チームワーク・集団活動を学ぶ
段取りをとる
仕事の論理
井戸端会議と会議は違う
仕事には始まりと終わりがある。
基本
仕事の基本
報告書の書き方
企画書の書き方
物事には順序がある
組織的意志決定
仕事について
組織は情報系である。
事前の準備

基本は形にある。
物事には順序がある。
形に学ぶ。形を学ぶ。形で学ぶ。
形について
形式主義


物に本末あり、ことに終始あり。先後せんこうするところを知ればすなわち道に近し。「大学」

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