教育の理想を求めて
不寛容
いろいろな意味で現代社会は、不寛容社会になりつつある。
惻隠の情とか、武士の情けという言葉が通用しなくなりつつあると思う。
インターネットが普及し、かなり過激な事でも匿名で発表する事ができるようになった。
そのため、相手かまわず安全なところから相手を誹謗、中傷し、あるいは炎上させる。
水に落ちた犬は叩けではないが、一度、弱みを見せると際限なく、冷酷非情に攻め続ける。
不寛容な世間になってきた。
礼節、憐憫、思いやりなんて感情はどこにもない。
相手を責めるというより、自分の鬱積した感情の捌け口としているようにしか見えない。
升添都知事にたいする非難もあるところから、集団ヒステリー化してしまい。
普段なら問題にもされないような些末なことまで言い出して追い詰める。
ここまで行くと感情、私情でしかない。
そこまで言うかというほど言う。
一体何が本質で、何が悪いのか。そんなことはお構いなしに際限なく、限度なく、歯止め効かなくなり。あることない事、責め続ける。
全人格を否定し、人間性まで、人としての名誉まで葬り去る。
ちょっと知り合いの家に行くのに公用車を使った。私用ならタクシーを使え。
何を言っているのか、知事や大統領は、四六時中、知事であり、大統領である。私人としての知事や大統領はない。
警備する者は、四六時中警護しなければならない。
また、非難する者に非難できるだけの資格、生き方をしてきたと言えるのか。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。何でもかんでも悪いと言われたら立つ瀬がない。
相手の非を正す場合、まず名を名乗るのが筋であろう。
いくら平等だと言えども、相手は、重責を担う者である。
それなりの配慮や心遣いをすべきである。
どんどん心が乾き殺伐した思い、砂を噛むような後味の悪さしか残らない。
思いやり気持、寛容さがなくなった社会は、荒廃し、破滅してしまう。
人としての道が廃れてしまうからである。
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