教育の理想を求めて
試験問題
試験問題というのは、与えられた問題を、与えられた時間内に、一人で解いて、予め設定された答えを導き出せるかどうかを試す事である。
それに対して、現実の問題は、自分で問題を見出し、問題が明らかになったら、その問題に沿って人を集め、共同で何をやる事で答えを導き出すのかの問題なのである。
学校では、与えられた問題を一定時間内に、一人解く、しかも、正解はあらかじめ決まっているという事を繰り返し、繰り返し体に教え込まれる。
試験問題の最大の弊害はこの繰り返しにある。
この様な繰り返しを学生時代に体に植え込まれると、問題というのは、予め設定されていて、一定時間に一人で解くものだという習慣が身に染みてしまう。
問題を自分で設定したり、時間を多く使って、みんなで解くなんて言う庫とは思いもつかなくなる。
その結果社会性が失われるのである。
この様な姿勢が科学的な姿勢だというのも錯覚である。
科学に絶対的な答えはないとされる。また、長い間かけて答えを見つけ出すのが科学である。
故に、科学者を志す者にとって学校の試験勉強は、弊害でしかない。
科学というのは、自分で問題意識を持ち。問題を探し出すか、設定する事であり、通常は、共同で、チームで答えを探す。時間にも制限はない。
早いか遅いかの問題ではなく。正確であるか否かの問題である。
社会に出たら、我々は常に試験を受けているようなものである。
例えば、入社試験の面接も試験であるし、お見合いだって試験、料理を作ったらおいしいかどうか試験される。
しかし、その試験のあらかたは学校の試験のようなものとは違う。
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