教育の理想を求めて

教わるのが下手


自分も例外ではないが、我々の世代以降の人間は、教わるのが下手である。
学校で反体制派の先生に逆らう事ばかりを教わってきたために、人に逆らうにはうまくなったが、素直に人に教わることができない。
六十を過ぎた今でも人にものを教わるのが下手だなと痛感させられる。

教える側の人間は、自分が長い間かけて汗と涙で習得した技術や知識を短期間で伝えてくれるのである。
教わる側の物はありがたいと思うのが自然である。

しかし、我々以降の人間は、教わってやっているんだとか、そんな事解っているとか、教わりたくないけどいやいや、渋々教わってやっているという姿勢がありありと見える。
露骨である。
それでは教える側の人間がめげてしまう。
しかし、それでも仕事だから、困るだろうと親切に教えてはくれるのだが、教える側も教わる側も身が入りわけがない。
適当に教え、適当に教わってしまいになる。
その結果、後でとんでもないことになる。

教わる事のほとんどが基礎的な事、できて当たり前な事だからたちが悪い。
歳をとってからでは遅すぎるし、教わるにしても気恥ずかしい。
だから、いつまでも知ったふりをしてごまかして生きていかざるを得ない。
しかし、仕事や生きていくうえで基本となる事だから、いざとなったらできないと言ってられない。できないとごまかし続けていたら、うそつきだと思われるし、できない事がわかれば、相手にしてもらえなくなる。どっちに転んでもいいことなど何もない。
それが問題なのである。

初歩的な事だと言っても、否、初歩的な事だからこそ誰かの指導を受けなければ身に着けることはできない。だから困るのである。
いまさらと言われて基本中の基本、初歩中の初歩だから始末が悪いのである。

教える側にとっては、できてあたりまえな事を教えている。
しかし、教わる側にとってできて当たり前な事でもなんでもない。教わらなければできないし、次のステップに行けない。

本来次のステップに行けないはずなの、応用だの高度な技術等を使いこなそうとしても土台無理がある。その無理がたたって信用を失っていく。

基本的な事であり、それをいつまでも素直に教わることができなかったら、職場や社会といった人間関係に支障をきたすことになる。

だから、還暦を過ぎるまでまともな社会生活を営めずに、引きこもったりしている。
周囲が甘やかし続けたつけである。しかし、当人にとって周囲の人間にとっも地獄である。

人にものを教わるためには準備が必要である。教えるのにも準備が必要である。
特に心の準備である。

いきなり、教えろとか、教われと言っても準備が整っていなければ教えよよえも教わりようもない。その点が学校ではわかっていない。
いきなり、子供集めて皆一律一様に教えようとする。人それぞれ個性がある。個性は、出すなと言われても出る。個性尊重なんて言わなくても出てくるし、個性を尊重しなければ教育なんてできはしないのである。

子供たちは本質的に物事を教わりたいのである。
生きていくために必要な事を早く身に着けたいと思っている。

親は、生きていくのに必要な事を早く身につけさせたいと思っている。
なのに、勉強嫌い学校では問題となる。
子供たちが欲している事を教えようとせずに、子供達が望んでいない事を教える側も教わる側の物も心の準備もしないままに教えようとするから勉強が嫌いになるのである。

私なんて、学校を卒業したとたん勉強が好きになったものである。

無用の用だなんてほざいて世の中に役に立たないことを教える場が学校なんだなんて先生は生徒に言ったりもする。
ふざけないでほしい、人生は短いのである。無駄に生きていきたくはない、
生徒の役に立たないことを教えるのは、先生の道楽に過ぎない。
だから、日本の学校では、生徒が先生を尊敬しなくなるのである。

自分知りたいことを教えてくれるのだから、生徒は先生に謙虚になる。

大体昔は、なかなか教えてくれなかったものである。教えてくれるのが当たり前なんて考えること自体がおかしいのである。

学ぶ姿勢がない者は、教えたところで身につかないと考えられていたからである。
厳しさのない教育なんて意味がない。学ぼうと欲するものは厳しさを求めるべきなのである。



教えるのも、教わるのも下手。


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