教育の理想を求めて
普遍性と特殊性
今の日本人は、お人好しに無条件に普遍的な事が善で、特殊な事は悪だと世界中の人間していると思い込んでいる節がある。特にマスコミの人間とか、知識人を任じている人に多く見受ける。
この様な人たちは、トランプ氏が、過激な発言によってアメリカの共和党の有力な候補者になってくると途端に訳が分からなくなる。
そして、アメリカは狂っているなどと言い始める。
何も解っていないのは、自分達なのにである。
そういう人間に限って政治的中立性などとありもしない幻想を抱いて人を中傷するのである。
無思想とか、政治的中立性なんて言うのは、自分の思想をカモフラージュする策謀か、さもなければ自分の主体性のなさの抗弁のいずれでしかない。
大勢で食事に行った時、何にしますかと聞かれて皆と同じ物にしてくれと言うメンタリティーと何ら変わらない。
要するに自分がないのである。
特殊な思想で多数派を制するような出来事は、歴史的にみればたびたび起こっている。
その好例が、ナチスヒットラーであり、ソビェトを支配したボリシェビキはロシア語では多数派だが実際は少数派だった。
共産主義という思想は、特殊な思想である。その特殊な思想家の集団が革命によって一般大衆を圧倒したのである。
メディアの人間は、自分が多数派の側にいると居心地が良いのかもしれないが、多数派だから正しいとか、力があると思うのは大きな間違いである。
結局彼等は、その場の空気とか、雰囲気に流されているだけなのである。
KY(空気読めない)などと言われてたじろいでいたら、自分の意見などもてはしないのである。
イエスは、全ての人に見捨てられ、誰一人救おうとすらしない状況をはねのけたのです。
ただ一見普遍的な事だから正しいとするのは自分を持たない臆病者の証拠です。
正しいというのならは、ただ一人でもそれを貫き通す覚悟が必要です。
逆に大勢の中で目立たないと言う事を嘆く必要もないのです。
多数決は全て善だとするのも危険です。
ただ、民主主義は多数意見に従うという仕組みだと言うだけなのです。
その点を正しく理解していないとかつてのような過ちを繰り返す事に成ります。
多数だから、少数だから、或いは、一般的だから、特殊だからという事ではなく。
自分が何を正しいとしているかが、問題なのです。
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