教育の理想を求めて
経済とボランティア
日本人は、ボランティアという言葉を錯覚している。
ボランティアというのは社会奉仕活動で、基本的には、無償労働である。
しかし、ボランティアを生業にする事はできない。
営利事業と慈善事業とは違い、営利事業は、金儲け、利益を追求する事を目的とし、慈善事業は、非営利事業であり、利益を目的としては、或いは、利益を追求してはいけないと誤解している人がいる。
この考え方は、公共事業と私的事業との区分にも現れる。公益事業体は、公共の複利を追求するから利益を追求する事は許されないという考え方である。
つまり、公益事業は、公益に基づいて為されるのに対して民間事業は、私利私欲ら基づいているという決めつけである。
非営利事業と営利事業とを区分する事は難しい。というよりも不可能である。
生業として成り立っている事業は、犯罪を除いて本来社会が必要としている事である。
生業として成り立っていているという事は社会が必要としている事業なのである。
もともとどんな仕事でも、世の為人のためになるから成り立っているのであり、慈善事業だけが世の為人のために働いているわけではない。
公益事業や慈善事業と営利事業との違いは、労働の反対給付として成り立たない部分があるから単純に営利と結びつかないと言うだけである。
だからといって慈善事業に携わる人間は、生活が成り立たなくても良いというわけにはいかない。働いている人の生活が成り立たなければ、所詮事業としては成り立たないのである。
ボランティアに携わる人にも生活がある。
慈善事業に携わる者には、清貧という思想がある。だから金儲けだの、お金を卑しく見る傾向がある。それは公益事業に携わる者にも共通した者がある。
しかし、働いている者の生活が成り立たなくなれば生活が荒むのも成行である。大体慈善事業と言ってもあくどい連中がつけ込む隙はある。むしろ慈善事業だから詐欺師、ペテン師にも利用されやすいと言える。
典型的なのが介護事業である。介護はボランティアによる仕事では成り立たない。適正な収入が保証されない限り経済的に破綻する事は目に見えている。
営利事業から社会的使命感が失われる事も問題なのである。営利事業だと言っても元々社会使命がある。社会的な使命があるから事業として成り立っているのである。
故に、営利事業と慈善事業、営利事業と公益事業とをわけて考える事の方が難しいし、それが経済の整合性を失わせているのである。
民営化問題の背後には、公益事業だから利益を上げなくて良いのだという考え方、優越感が見え隠れしている。
ボランティアはボランティアである。地震や津波、戦災の被害者はボランティアにすがっていつまでも生きていくわけにはいかない。彼等に一番必要なのは、自分達の力で自立した生活が営めるようにする事なのである。同情だの援助だのではなく仕事が必要なのである。その点を見落とすと経済の持つ本質を理解する事はできない。
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