教育の理想を求めて

徒弟制度


徒弟制度というのは、近年になって否定され続けてきた。
しかし、基本的に仕事場の教育というのは、徒弟制度的なものにならざるを得ない。
別に、職人教育という観点だけでなく、仕事全般で徒弟制度的な要素というのは持たざるを得ないと私は考える。
ある意味で、徒弟制度は、究極的な経験主義教育であり、OJTだといえる。

又、徒弟制度ほど組織的、かつ、計画的な教育はない。
むろん.徒弟制度には、諸々の欠点がある事は承知している。
しかし、それでもなお、徒弟制度の利点、長所は捨てきれるものではない。

徒弟制度を封建的とか、前近代的と決めつけるが、確たる根拠があるとは思えない。
徒弟制度を支える歴史的、時代的背景抜きに徒弟制度そのものが封建的云々というのは間違いである。
徒弟制度の根本的枠組み、中心的指導者がいて、先輩・後輩があって、職場で実地的に、マンツーマンで指導していく。又、職場内に習熟度に応じて何らかの序列がある等は必ずしも封建的だからと言う理由で否定されることではない。

確かに、親方のあり方によっては、封建的な要素が入り込む余地がある。しかし、それは近代的な枠組みに置き換えることである程度は解消できるはずである。

問題なのは、現在のような教室制度的な集合教育や単なる技術、知識に特化した教育ではなく。全人格教育。また、人それぞれの個性や成長に合わせた教育をマンツーマンで職場で仕事を通じて行っていく必要があると考えられる。
また、指導内容も、所場内の掟や人付き合いのルール、仕来り、場合によっては、プライベートな部分や生活全般にまで及ぶ。
それが本来、職場の教育の基本であるはずである。

一律、標準化された集合教育、これが教室制度である。
そこでは、OFFJT、職務外教育に力点が置かれ、仕事以外のことは埒外とされる。
確かに、プライベートや個人の思想信条にまで深く立ち入ることは、多くの弊害がある。
故に、その部分に対する明確に基準、境界線を明らかにしておくべきだが、職場内における人間関係、道徳、規律、礼儀作法のようなことの最低限の取り決めは明らかにしておく必要がある。又、躾ける必要がある。
なぜなら、職場は社会の縮図でもあるからである。
人間的な部分を無視したら、職場の規律は保てなくなるのである。

現に、外国では、職場内に教会やマスクなどの宗教設備を備えている礼も多々見られ、又、日本でも神棚をまつっている職場も多く見られる。
思想信条の自由の枠組みの中でそれなりの企業文化、伝統を構築していくことも大切なのである。

忘れてはならないのは、仕事というのは、全人格的なことであって一部を切り出してそこだけの問題と限定することが困難だと言う事である。
仕事場の顔と、家庭内の顔、遊びの場とで顔を使い分けるとか、価値観を切り替えるなどと言う器用な生き方は、一般にはできない。
だからこそ、職場の人間関係を下地にした教育の仕組みが必要とされるのである。
その一つの形態が徒弟制度である。




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