教育の理想を求めて
敗者復活
人は兎角、自分より力があると思う人間は妬み、或いは、媚びへつらう。
自分より劣っていると思う人間は、侮る。
それでいながら、なかなか自分より優秀な人間を認めようとしない。
自分が解らない、事は受け入れようとしない。
自分より若くて優秀な人間が出てきてもなんだかんだ難癖をつけては潰そうとする。
健全で、優秀な人間しか生き残れない社会は、それだけで不健全なのである。
世界は、少数の選ばれた人間のためにだけあるわけではない。なぜならば、選ばれたと称する者達だけで、どんな世界も成り立ちはしないのだから・・・。
プロ野球もプロサッカーの世界も選ばれた選手だけで成り立っているわけではない。
競技場を整備する者、切符を売る人、審判やコーチ、監督。観客。また、二軍や三軍、多くのアマチア。そういう広い裾野があってプロスポーツの世界は成り立っているのである。
その人その人の力や適性に応じたい場所を作るのが社会の重要な役目でもある。
効率ばかり追求すれば、居場所のない人間が増えるのである。
力のない人間を力のないという理由だけで排除していくような組織に未来はない。
どんな社会にも、どんな組織にも、駄目な人間はいる。
組織は、人間関係の坩堝である。
野球は、ピッチャーだけではできない。キャッチャーだけでもできない。
適材適所と言うけれど、最初から自分に合った仕事に出会うわけではない。
いろいろと試行錯誤、過ち、失敗を繰り返しながら、自分に合った仕事を見いだしていくのである。
持続性のある組織は、人を育成し、また、敗者の復活の仕組みが組み込まれている。
人を育てる事を覚える。
人を育成する仕組みを作る。
それこそが指導者の重大な役割の一つである。
新人を育成する仕組み、敗者復活の仕組みがなければ組織は継続できない。
若い未熟な者を鞄持ちにしたのも一例である。
社会全体で若者を子供達を守り育んできたのである。
どんな人間にも好不調の波がある。
どんな人間にも長所欠点はある。
第一、どんな人間も年をとれば衰えるのである。
ドライに割り切るべきか。ウェットに情けをかけるべきかなかなか難しいところである。
ドライに割り切ってばかりいたら、組織は殺伐としてくる。
かといって情けに流されれば、何も決められなくなる。
いずれにしても、相手にするのは生身の人間である。
大切なのは、一人ひとりと対峙し、時には、真剣勝負をしてやる事である。
その人その人には、その人なりの生き方、生きる道、人生がある。
十人の組織には、十の人生が、百人の組織には、百人の人生が、万人の組織には、万人の人生があるのである。
どれが尊くてどれが卑しいなど決めつけるわけにはいかない。
老い衰えていく自分を許せず、或いは認めようとしない。
年をとったから隠居させればいいというのでは、人生そのものを否定する事にもなりかねない。
現代人は、生きる事の意味も否定している気がする。
科学主義、唯物主義を突き詰めてしまえば、生きる事や存在する事の意義を考える事さえ愚かになってしまう。
しかし、人は、それでも生きているのである。
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