教育の理想を求めて
英語は、コミュニケーションの手段
子供に、
「なぜ、英語を勉強するの。」
「学校で学ぶ英語は、役に立つの。」と聞かれたら、
「役に立たない。」と応えればいいのです。
それでも、英語の勉強をする必要があると思うのなら、勉強をしなさい。それが嫌なら学校へ行く必要はないと言えばいいのです。
親は、自分の経験から学校の英語は、社会に出てから何も役に立たないと言う事を知っています。
だから、
「役に立つ。」
なんて言うと最初から嘘になる。
そんな嘘は、すぐにばれるのです。
それより本当の事を言って一緒に将来の事をまじめに話し合えばいいのです。
嘘をつかれれば子供が反抗的になるのは当然です。
反抗的だからと言ってそれは反抗期なんだなんて決めつけ、頭から押さえつけたり、無視するのは、大人の勝手です。
子供達は知りたいのです。
自分達がどうしたらいいのか。
子供達は不安なのです。
自分達の将来について。
本当に子供達の事が心配なら正直に話すべきです。
最初に嘘があれば、子供が大人を信用しなくなり反抗的になるのは当然です。
子供は何も解っていないから反抗的だと決めつけるのは、間違いです。
解っていないのは大人です。
子供達は、解らないまま大人になって同じ間違いをするのです。
英語は言葉です。
言葉は、コミュニケーションの手段です。
六年も勉強してアメリカ人と日常会話もできない。
あげくに英語が苦手、嫌いにさせてしまうのなら有害なだけです。
学校の勉強は役に立ちません。
だったら自分で役に立つようにすればいいのです。
コンピにで働いている外人は、語学の正式の教育を受けたり、何年間も研修を受けているようには思えません。
しかし、彼等は流暢に日本語を話して応対してくれます。
なぜか、彼等は目的がハッキリしているからです。
目的がなければ目的を持たせればいいのです。
ただ勉強としてしか英語を学ばせないから何の役にも立たないのです。
でも英語が好きになれば話は別です。
息子は、いろいろな国の人と話をしたくてカナダへ中学から行ってしまいました。
目的がないから苦痛なのです。
生きることも同じです。
生きる目的を子供と真剣に話し合ってやる事です。
つい最近、自分達の祖父の時代には、学校なんか行くなと言う親がごろごろいたのです。
養老孟司も言っています。自分が大学に進学すると言ったら、大学なんぞに行ったら馬鹿になると真顔で忠告してくれた親がいたと。実際、職人や農家の人間には、職人や百姓に学問はいらないと頑固に反対した親がいました。
変な知恵をつけたらろくな人間ならないというのです。
それを一生懸命教師が学校へよこすよう必死に説得したのです。
今でも、学校に行けない子供達は沢山いるし、勉強をしたと言うだけで殺されかけた少女もいるのです。
進学しないのは、馬鹿だからだと決めつけないで欲しい。
勉強をする必要がないと思っている子もいます。
勉強が向いていない子もいます。
だからといって彼等は、駄目なのでも、馬鹿なのでもありません。
かえって、賢く、自分の事をよく分かっているのかもしれません。
勉強が全てなのではありません。
勉強は手段です。
何のための手段か。
自分が幸せになる為の手段。
自分が生きていく為の手段。
自分が自分らしく生きる為の手段なのです。
勉強によって自分に絶望するようなら、直ちに勉強を止めるべきです。
勉強によって自分を卑下するようになるならそく勉強を止めるべきです。
勉強によって卑屈になるなら本末転倒です。
勉強ができなくても不幸になるとは限りません。
勉強ができないからと言って人でなしになるわけではありません。
勉強ができなくたって成功した人は沢山います。
勉強ができなくても人柄や性格のいい奴は沢山います。
勉強ができなくても優しい人はいます。
成績が全てなのではありません。
意味もなく。ただ皆が行くから学校へ行くのが当然なのだという考え方だけは、止めるべきです。
勉強は何の為にするのか。
それは、第一に生きる為に必要な最低限の知識や技術を身につける事です。
第二に、自分らしい生き方をするためです。
生きていく為に必要な事と、それから自分が望む人生に必要な事を取得するために勉強をするのです。
勉強をする事で、自分を見失ってしまう。自分がどんな生き方をしたらいいのか解らなくなってしまうのならそんな勉強止めるべきですし、止めさせるべきなのです。
本当に自分の人生なのですから、自分で決めればいいのです。
自分で決めた事だから、自分の人生に責任が持てるのです。
押しつけ教育が悪いというなら、放任教育も悪い。
なぜなら、どちらも自分がないからです。
英語は、コミュニケーションの手段なのです。
英語は、人と人が心を通わす手段なのです。
英語を勉強する真の目的は、試験に合格する事ではなく。
英語を学ぶ真の目的は、自分の世界を広げる事なのです。
違う国の人々と心を通わし、理解し合うためなのです。
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