教育の理想を求めて
解ったと思うな
解ったと思うな。
解ったと思った時から間違いが始まる。
第一、解っているか、解っていないかの判断は相手がする事なのである。
よく自分は、解りましたと応えただけで叱られたものである。
大体、人間の記憶には限界がある。
人の集中力にも波があり、集中と弛緩を繰り返している。
話に集中できるのは三分の一程度と言われている。
だから、一度で全てを記憶するというのは生理的に難しい。
三度確認することは、一般に許されている。
又、三つ以上のことを記憶するというのも難しい問い思う。
十聞いても三つ程度しか記憶できないと思っている方がいい。
十指示出してもそのうち三つ程度覚えていればいい方である。
だから、三つ以上項目がある指示が出されたら、何らかの形で記録をとるか、取らせるかを心がけさせなければならない。
一時間の話を聞いて一言一句記憶している人間がいたらその方が異常である。
この様に単純に指示を記憶すること自体難しい。
況んや理解するのは更に難しい。
一度聞いて解ったというのは欺瞞である。
故に、組織は、組織的に、また、手順、手続きによって指示命令を記憶する。又、当事者に記憶させるように仕組まれている。
それが組織である。
この様な状態で一度指示を聞いて理解するというのは至難な技である。
解りましたというのは、おおかた、解ったつまりになったか偽装しているのに違いない。
だから一度聞いただけで解りましたという人間を私は信用しない。
できない人間は、できない事を隠す。
できる人は、できない事を隠したりはしない。
自分ができる事とできない事を正しく見極めているからである。だから、仕事のできる人は、例え自分のミスや失敗、過失でも潔く認めて目的を成就しようとする。
解っている人は聞いてくる。聞いて実行する。
解らない者は、質問もしない。なぜなら、聞きたくても、何を聞いていいのか解らないからである。聞いても解らないのだから、最初から何もやらない。
考える事は言い訳ばかりである。
本当に相手が理解しているかどうかは、相手の行動によって明らかになる。
指示、命令をしても直後の行動を見ないと理解しているか否かは解らない。
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