教育の理想を求めて
教育の原点
僕は、教育の原点は共鳴共感だと思っています。ところがこの共鳴共感が今の教育の現場にはない。それは本物の教育ではなく。偽物の教育です。
その結果、皆、精神の病になる。その根本を治さない限り、いじめも自殺もなくならない。なぜなら、生徒は自分の置かれている状況、環境に絶望しているからです。
こんな教育ありません。それは教育でなく、調教です。
今の学校の先生の多くは、生徒の方を向いていません。だから生徒の悲しみや苦しみを理解できない。
だから、日本では学校の先生が尊敬されていない。尊敬されていないから生徒をまとめることができない。恩師なんて死語です。
先生を尊敬しているのが日本では、四十%弱しかいないという調査結果もある。他の国では百%近いというのにです。
教育の本質は、子供達の苦しみや悲しみを癒やし、未来に希望を持たせる事です。なぜなら、教育の目的は、学ぶ者達を幸せにすることにあるからです。自分が幸せになれないと思ったら勉強なんてする必要はありません。
自分の将来に絶望させてしまうような、夢を持てなくしてしまうような教育は、教育ではありません。
生徒が先生に共鳴共感できなければ、生徒は先生に教わろうとはしません。
それを無理強いすれば自己嫌悪、自己否定に陥ります。それは最悪の結果、つまり、人格の崩壊を招きます。
なぜなら、自分が望む生き方と違う生き方を強要されてもその人は本質的に受け入れることができないからです。教育は、その人その人の生き方を模索する旅みたいなものです。教育によって自分を見失い、自分をなくしたら本末転倒です。
教育によって自分を愛せなくなったら、それは毒を飲まされているのと同じです。真の教育は、勉強を通じて自分が好きなり、自分の周りにいる人をいとおしく思えるようになることです。勉強によって父母が嫌いになったら意味がありません。
根本に共鳴共感があり、習いたい、学びたいと言う心を引き起こすことが教育の原点だと私は思います。
だから、私は、問うのです。あなたは勉強をしていて幸せ感がもてますかと。
生まれたばかりの子供は好奇心旺盛でなぜなぜと誰彼かまわず聞いてきます。
でも大人は面倒くさくなってろくに返事もしない。そして、自分に都合のいいことばかり、押しつけてくる。それを教育だという。そこから教育は間違った方向に向かうのです。
勉強が嫌いなのではありません。勉強を嫌いにしていて、勉強しないと叱っているだけです。
だから、僕は、教育の原点は、共鳴共感だと思うのです。
劣等生こそ教育者を目指すべきなのです。
なぜなら、彼等こそ劣等生の気持ちを理解することができるし、劣等生こそ教育を必要としているのです。
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