教育の理想を求めて
何を公平とするか
三%の人間しかできないことでもできる人間とってはできることが当たり前なのであってできない人間がなぜできないのか理解できない。しかも、できる人間の中には、努力してできるようになったのではなく。最初から簡単にできる人間もいるのである。
だからといって神は不公平だと文句を言うのは間違いである。できる人間とできない人間がいることが公平なのである。
要は、できない事があるからと言って人間的に劣っているという事を意味するのではなく、できるからと言って人間的に優れているという事を意味しているわけではない。その意味で公平なのである。
今できないからと言って諦める事なく。一生懸命努力する者は、それなりに得るものもあるだろうし、何でも器用にこなす者は、そのために解らない事もある。
要は、互いに互いを認め合えるかである。
むろん、できる者とできない者とを一律に扱う事はない。
しかし、だからといってできない者を極端に差別するのも考えものである。
人は、それぞれに役割があり、その役割に応じて補い合っていくべきなのである。
成果に応じて分配をする。
分配というのは、分け合うという事であり、比率だという事を忘れてはならない。
全体は一なのである。だから、極端な格差があれば分配は成り立たなくなる。
この点を忘れるともらえるだけ、もらおうというさもしい根性になる。
根本は分かち合いの精神なのである。
何もかも独り占めにしてしまえば分配は成り立たないのである。
差をつける事が目的なのではない。それぞれの働きを評価する事が目的なのである。
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