理想の教育を求めて
上手くいかないからと言って
上手くできない事、上手くいかない事があるからと言って腹を立てたり、癇癪をおこすのはお門違いである。
仲間から何を求められているかを考えれば解る。
仲間の誰も完璧な時求めてはいないし、それに、完璧にもなれない。
仲間が期待しているのは、完璧にできる事ではない。
一緒にやる事である。下手は下手なりに。
下手でも一生懸命仲間に合わせようとしていれば、その思いは仲間に伝わる。
プロだとか、何かの大会に出て優勝を狙うというのでもなければ、仲間が期待している事は一緒に楽しんでくれる事である。だったら、下手なぐらいの方が愛想があって良い。
だから自分が上手くできないからと言ってそれを弱点とか、欠点だなんて思った事はないし、思わない事にしている。
ただ自分が上手くできなかったり、苦手な事を誤魔化そうとしたり、隠そうとするからそれが弱点になるのだと思う。
苦手な事や上手くできない事をどう強味に変えるかを考えるようにしている。
それに真の友は、自分の長所だけを見ているわけではない。弱点や、欠点、苦手なところも含めて認めてくれるのが真の友だ。
でなければ一緒に事は謀れない。
劣った人間や優れた人間を認められずに、おらがおらがと言っていたら一緒に働く事はできない。
カラオケだって最初から上手いわけではないし、皆だってそんな事を期待しているわけではない。下手は下手なりに一生懸命やる事を期待しているのである。
皆が嫌うのは、イジイジしたり、何時までも尻込みをしている事である。なぜなら、皆が惨めになるからである。
上手いとか、下手だとか言う前に自分のあるがままの姿を皆の前に晒せるかかである。
相手の欠点をあざ笑ったり、自尊心を傷つけたりする奴は友ではない。
本当に心を許しあえる友ならば良いところも悪いところも認め合い、許し合うのが真の友だ。なぜなら、困った時にこそ友を必要としているからである。友の前で、強がって見せたり、意地を張っても仕方がない。意味がない。
イジメも哀しいが、それ以上に哀しいのは、互いにかばい合い、助け合う仲間や友ができない事である。
だとしたら、上手くできないとか、苦手だと言って悩む必要はない。
互いに許し合い、認め合い、互いの足らない部分を補えあえばいいのだからである。
一番悪いのは、上手く行かないと言って投げ出したり、臆病になる事だ。
身体に障害がある人だって努力して健康な人以上の働きをやって乗る人もいるのである。
劣等感というのは、自分の心の問題である。
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