教育の理想を求めて

たった三十分




たった三十分。
事故が起こった時、地震が起きた時、津波がくるまで、トップに与えられる時間は、せいぜい三十分くらい、しかも、その三十分間に間違いなく、正確に、かつ迅速に決断し続けなければならない。決断をしなければならない事は間断なく訪れる。その間少しでも間違った判断をしたら、甚大な被害を生じさせ、一生十字架を背負い続けなければならなくなる。
それでなくとも、目の前で人が倒れたり、ホームから転げ落ちたりしないとは限らない。
一瞬たりとも間違いは許されない。
トップにとってたった三十分と言っても、マスコミは、三十分もあったのに何をしていたんだと責める。そして、謝れとがなり立てる。誰になぜ謝るのか。責任も原因も判然としない内から兎に角謝れとマスコミは言う。結局、訳もわからず何の関係もない記者に謝らされる事になる。

連日、なんだかんだと謝らされている社長がテレビに出てくる。
トップというのは、その姿をいつも頭に刻んでないとやりきれないのかもしれない。

しかも、謝ったら、謝ったで責められないというわけではない。今度は、なぜ、謝ったと責められかねない。謝ったのだから責任を認めたのだろうと責められるからである。

言い訳は聞いてくれない。言ったところで始まらない。
謝る時は謝らなければならない。苦笑いしたってそれだけで何を言われるか解らない。どんな事を言っても許してはくれないのである。

何万人部下をかかえていても、何十人しかいなくてもトップはトップなのである。
どんな大きな会社のトップでも会社の出来事は、どんな些細な事でも知っていなければならない事になっている。知らないなんて言ったら大変な事になる。かといって下手な応答をすれば、刑事責任を問われたり、賠償責任が生じる。謝るにしても言葉を気を付けなければならない。横で母親がいて指図していたのが解っただけで抹殺された経営者もいる。経営者が抹殺されるだけならまだしも、「聞いてなかったよ」とトップが言っただけで会社が抹殺されたケースもある。
マスコミというのは無責任なのである。マスコミから見れば三十分もあればチャンとできただろうと言う事になる。

でも、当事者から見るとやっぱりたった三十分である。人生の一大事を決めるのには時間がなさ過ぎる。それも、何時始まるか解らない。得てして何の準備もしてない時に始まるものなのである。それでも、冷静沈着正確な判断が求められる。
自分だけでなく、社員や家族の運命も左右されるのである。それでも決めなければならない。なぜなら不決断は最大の錯誤だからである。決めないわけにはいかない。

三十分なんてあっという間である。
津波の際、よかれと思ってバスで園児を家に帰したらそのバスが津波にのまれた。炭鉱の責任者が東京の会議に出張している時に炭鉱で粉じん爆発が起こった。海外の視察旅行をしている時に事故が起こる。それでも三十分は三十分なのである。
素面だとは限らない。お酒を飲んで酩酊しているときに怒るかもしれない。熟睡しているときにたたき起こされるかもしれない。腹が痛くて唸っている時に起こるかもしれない。部下を叱っている時に起こるかもしれない。病気で伏せている時かもしれない。子供の卒業式に起こるかもしれない。親の臨終の時かもしれない。誕生日パーティの時かもしれない。その時は、予告なくやってくるものなのである。

トップとはそういう世界で生きている。




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