形について。形式美について
美は形にある。
見える化というのは、形にするという意味だと私は思うんですね。ところが我々や我々の上の世代は、形、形式をとことん否定した。だから形という言葉が使えなくて、見える化という言葉を作ったんですね。でも、かえって、形と言う言葉が使えないとややこしくなる。
見えるように形を作る。
形には力がある。
日本語には、形にするとか。形を整える。形を考える。形にで考える。形を作る。形に拘る。形で動かす。形を変える。形で覚える。形で記憶する。形を覚える。形で教える。形を示すと言うように形に関連する言葉が沢山ある。
形には力がある。
形の持つ力を怖れるものが敵である日本の形を破壊したのである。
それも日本人の力によってである。
それだけ日本人は、形を重んじたのである。
例えば、剣道や柔道には必ず型がある。また、茶道や華道は、様式美、形式美である。禅の修業では形を重んじる。
その形を極めた事が礼である。
かつて、日本は礼節の国と言われ。それが日本の強さを示してもいた。
戦後日本は、その形を否定した。形式に拘るな。形なんてどうだっていいじゃ為す以下という具合にである。我々の世代から上の世代、徹底的に形を否定した。それが占領政策とも知らずにである。
形を否定したのは、日本を弱体化しようという考えの勢力である。その点を見落とさないで欲しい。
得体のしけない所で言論が操作され、社会の価値観が変えられてしまう場合がある。そのいい例に、言葉狩りがある。禁句を作る事で、思想を操作する事である。
差別的という理由だけで言葉を安易に根拠も曖昧なままに禁止するのは、言論操作である可能性が高い。
例えば、形という言葉や規律という言葉もある種禁止用語である。しかも質が悪い事に暗黙の禁止用語である。愛国心も然り。なぜか使いにくい。使えない。なぜ、禁句になってしまったのか。禁止用語の源を辿っていくとなぜか闇に辿り着く。誰が、どの様な思想の基に、、どの様な基準で禁止用語を定めたのかは闇の中である。確かに、もっともらしく差別とか言うけれど、差別の実態を明らかにしないかぎり、禁止となった理由は明らかならない。
日本人社会は、言論や思想を操作しやすい社会だと思っていた方が良い。ただ、外国勢力の障害は、日本語である。日本語というのは特殊な言語であり、なかなか使いこなすのが難しい。
ただ、日本人、単純に信じやすい傾向がある。それは、日本が島国で海に囲まれているという特殊性に起因していると考えられる。
組織は形で動く。
組織というのは、大勢の人間を一斉に動かさなければならない。
最終的には、言葉による指示命令に頼らなければならないかもしれないが、基本的には、形を示さなければ動かす事ができない。
集団は理屈で動くのではなく、形で動くのである。
大勢利人間が共通認識に基づいて共同して動く為には、形によって意思を伝達した方が効率的なのである。言葉も短いセンテンスで繰り返し、また、迅速に伝える必要がある。
その場合、言葉は道具でしかない。
組織を動かすのは象徴と式典である。
団結だからである。
象徴とか、式典は形です。
形で示した方がわかりやすい。
言葉というのは抽象的なことです。目に見えない。他から、絵や文字、数字にして表現をした方が伝達しやすい。
日本人の価値の根本に美意識がある。
かつての、日本人は、正しく生きたいと言うより、美しく生きたいと思う。潔く、清潔に生きたいと思う。それが武士である。
日本人は美を重んじてきた。それは形を重んじてきた証拠である。
あらゆる政治活動や宗教活動、或いはスポーツは、儀式や象徴を研究してきた。
戦後、日本人は、象徴や儀式、祭礼を軽視するように躾けられた。
それは日本人を団結させない為にである。
第一に、民主主義を
民主主義こそ式典や祭礼を重視している。
形を考える上では、先ず何を最初に考えるべきなのか。
それは、始まりと終わりである。
物事には、始まりと終わりがある。
始まりの形と終わりの形をどうするのか。正式にはどう言う形にするのか。
それを決める必要がある。
次に、中心を定める事である。
形が定まると細部が明らかになる。
形が、見えてくると細かい所まで決められるようになる。
例えば、計画の枠組みは、項目で決まる。項目を定めれば、詳細を詰める事ができるようになる。計画で言えば、項目は、経緯、主旨、目的、日時、場所、行程、予算などである。
これらの項目が明らかになれば、次に、どの様に目的や主旨などを明らかにし決めるかなどと言った具体的な詳細を明らかにする事ができる。
主旨・目的が定まれば、日時場所が明らかになってくるし、又、予算が鍵を握ってくる。
形ができれば全体が見えるようになる。全体が見えれば部分を詰める事ができる。
言葉には限界がある。だから、相手の信頼を得る為には、行動とか、姿勢とか何らかの形を示す必要がある。それが誠意なのである。
そこに、契約とか、謝罪、宣言等の意味がある。つまり、形を作る事が必要となるのである。
どう言う形にするか。それが問題なのである。
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